【第4回スクール・オブ・サステナビリティ2】実際、他国のエネルギー政策は?再エネ先進国の共通点と、日本に足りないもの

こんにちは、インターンの杉本です!

第4回スクールオブサスティナビリティは、デンマーク大使館上席商務官の田中いずみさんと、コスタリカ政府公認ガイドの上田晋一郎さんをお招きしてお話を伺いました。

デンマークとコスタリカにおける政府の役割や政策、国民の自然環境に対する思いを教えていただきました!

SDGs達成度3位のデンマークの裏には政府の野心的環境政策!

田中さんには最初にデンマークについて少し教えていただきました。デンマークは日本の人口の1/20ほどで、面積は九州ほど。そしてなんと、デンマークは幸福度・働く人の幸福度1位なんだそうです!

デンマークはエネルギー政策として、2012年から2050年までに化石燃料に依存しない社会の構築を長期的に目指しています。この目標は、与野党の国会議員の約9割(170/179)から支持を得て、可能になりました。発端は1973年のオイルショックで、石油代替エネルギーとして原子力発電の建設という、日本と同じような議論になったそうです。しかし、1985年に国とし原子力発電をを使わないと決めました。この理由が個人的にとても驚きだったのですが、政府としては原発を導入したかったが、政府のアドバイザーが「国民に説明しなければいけない」と、国民に原発の利点と欠点をわかりやすく説明した冊子を配った結果、原子力発電所の建設計画は無くなりました。(詳細は「北欧のエネルギーデモクラシー」という本で説明されているそうです。)国民と政府の距離の近く、また国民に寄り添う政府だなと感じました。

また、2019年に新しい気候変動政策として、温室効果ガスの排出量を2030年までに1990年比で70%削減を目標としました。これは同年に行われた「グリーン選挙」で、各政党が環境に関しての目標を掲げ、選挙を制した新政府が定めました。以降、化石燃料に依存せずに温暖化ガス排出量を削減しながら経済成長すること(デカップリング)を、1990年からデンマークは証明しています。

そんな日本は電力生産の16.9%(2018)が再生可能エネルギーに対し、デンマークでは79%(2019)を再エネが占めています。ここに再エネである地熱や水力発電がないのは、デンマークには火山やマグマ活動がなく、また山がないので発電できるような川がないからだそうです。このように、地域の特性によって柔軟に対応していくことも大事だなと気づかされました。

また、地域熱供給状況ついても教えていただきました。私はこの地域熱供給を知りませんでした。というのも私のイメージでは、各自給湯器があり熱を作り使う方法しかないと思っていたからです。しかし、地域熱供給は限定された場所で熱を作り、それを施設や住宅に送り熱源として利用する仕組みになっていて、熱の生産効率をあげることができ、また再生可能エネルギーや廃熱を導入しやすいので省エネや環境保全に優れているそうです。この地域熱供給の熱源も再エネが半数以上占めており、一番使われる燃料がバイオマスで、農業大国デンマークでは、収穫した麦からできた麦わらがその大半を占めます。

そして最後には移動手段としての自転車の利用率や、その町づくりを紹介していただきました。自転車専用の道だったり、自転車を列車に乗せれる車両など、みんなが自転車に乗りやすい環境づくりができているなと感じました。

お金はないけど、再生可能エネルギーが主電力の国!?

続いて、23年コスタリカに在住の上田さんにお話を伺いました。「ジャングルの中を一緒に歩いているような気持ちでコスタリカのお話を聞いてほしい」と、コスタリカのジャングルの写真をzoomの背景にしながらお話くださいました。

コスタリカは北海道の6割程度の面積で、人口は500万人ほどの福岡より少し少な中進国です。先ほどのデンマークで幸福度が高かったことと同様、コスタリカの幸福度は日本が56位に対して16位だそうです。

コスタリカは参加者のイメージで多かったように、軍事を持たない国です。1948年に当時大統領だったホセ・フィゲーレス・フェレールはコスタリカの軍事放棄しました。そして、「兵士の数だけ教師を作ろう」というスピーチしました。軍事費がかからないので、浮いたお金を教育と福祉にあて、無料です。

そんなコスタリカで、平和の根源にあるのは「民主主義・人権・環境」なのだそうです。

民主主義についてコスタリカでは、選挙がお祭りで、自分が支持する政党の旗を振ったりと、とてもオープンな場になっている印象を受けました。日本ではなんだか考えにくいですが、、、。また、子供の時から政治について話し合ったり、子供選挙(模擬選挙)などが行われるそうです。

そして、人権が犯されていると憲法裁判所に各個人が訴えれます。憲法違反で訴訟と聞くと、たくさんのプロセスを通して、手間のかかる印象がありますよね。しかし、コスタリカでは、小学生でも大人もただの紙きれやメールに書いてもいいとのこと。直接国民の声が反映されていて、システム整備されていると感じました。

最後に環境について教えていただきました。

コスタリカのの電力は再生可能エネルギー(水力・風力・太陽光・地熱)が主電力だそうです。上田さん曰く、「お金はそんなにないが、地の利を生かしている」そうで、コスタリカの熱帯森林の雨、火山、貿易風による風、痛いほど強い太陽光によって可能になっているようです。原子力発電所や油田を作ったりしない理由として、万が一事故になった場合、人や環境を汚染してしまいうので開発しないという意志の強さも印象的でした。

また、コスタリカは自然環境を観光資源とするエコツーリズム発祥の地です。

ファストフードなどの普及で1980年代に、牧畜のため多くの国土が森林伐採され国土の森が30%ほどになったが、FONAFIFOという、使っていない私有地を国と契約するとお金がもらえる制度を通して今では森林起伏率が50%ほどだそうです。また、セテナと呼ばれる国家環境技術事務局があり、私有地でも森林伐採の際には木だけでなく、どのくらい周囲の生態系に影響するかなどを調査する機関があり、森林伐採すること自体難しいそうです。このことから言えるように、コスタリカ人は自然に生かされているという認識がとても強いと仰られていました。

終わりに、コスタリカの挨拶を教えていただきました。スペイン語が共通言語と聞いたので、「Hola」だと思いましたが違いました。コスタリカでは挨拶もありがとうも「Pura vida(プーラビーダ)」といい、「自然体で人生を楽しもう」という意味だそうです!日本にはなかなか無いのではないでしょうか。使う言葉で国民性が見えてきますね。

参加者の声

  • 国民と政府が互いに協力し合って国全体で環境問題に取り組む姿勢が素晴らしい一方で日本では二者の障壁を感じた。
  • 幸福度にあまりGDPは関係なく、日本も経済発展を目標にしているが、その目標を考え直すべきではないか

お二人からメッセージ

田中さんからは、「日本がデンマークの環境対策をそのままそっくり日本で実現できるわけではないが、デンマークの情報をデータベースにし、どのような対応をしているかを知ることで、これからの日本に繋げてほしい。そして自分ができる頃からやってみて、知識を蓄えてほしい!」とのことでした。上田さんも「できることから初めて、その活動を続けて成長してほしい。そしてこのコスタリカの話が少しでも刺激になったら」とお話ししてくださいました!

日本の良さを生かして環境保全

私はデンマークとコスタリカ、名前は知っているけど、どちらも小さな国というイメージだけ持っていました。この北欧と南米にある二カ国は一見重なる部分がなさそうに見えますが、実は教育や福祉が無料であったり、環境問題に取り組み、幸福度が高く民主主義が根付いている点で共通点だらけだと感じました。どちらも、国民だけでなく政府もが環境への意識が強い印象がを受けました。それとともに、政府が市民に寄り添う環境が整っており、国民が声をあげることで政府をも変えることできるという思いが作られ、より良い社会になっているんだなと感じました。山があったり島国などの日本の地理的条件を上手に使って水力や洋上風力などの再エネ資源も考えていけるのではないか、そして大都市がある一方素晴らしい自然環境を生かした日本が学べることは沢山あるのではないかと思いました。日本が遅れをとっていると感じる一方で、日本の良さを生かして他国の例から取り入れることはあるはずだと感じました。Pura vida!

(インターン 杉本奈帆子)

▼第4回のプログラム
・自然エネルギー100%の鍵をにぎるデンマークの地域熱供給(田中いずみさん、デンマーク大使館上席商務官)
・カーボン・フリーに一番近い国、コスタリカ(上田晋一郎さん、コスタリカ政府公認ガイド)
※ゲストスピーカーの講演のみ公開しています。


*過去のスクール・オブ・サステナビリティ2の報告ブログや動画はこちらからご覧いただけます。

https://www.foejapan.org/climate/event/school2021.html

台湾の脱原発に「待った」!?脱原発政策の行方

 

 昨年2018年、台湾の「2025年に原発ゼロ」政策の是非を問う国民投票が実施され、投票者の過半数が政策廃止に投票しました。今、台湾で何が起きているのか。一橋大学博士課程在籍で、地球公民基金研究員のダン・ウィジさんにお話を聞きました。

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 台湾には2011年の東電福島事故以前から脱原発運動がありましたが、2000年以降沈静化していました。しかし、福島第一原発事故をうけて、再び論争が白熱化し、運動は盛り上がり、最終的に2025年までに原発ゼロにするということが決定されました(法制化された)。

 台湾は、九州と同じくらいの面積で、4箇所の原子力発電所があります。首都台北から近いところに第1、第2原発があり、台湾南部に第3原発があります。1980年代、台北の北部に第4原発建設計画が浮上。それは台湾の民主化運動の盛り上がりの時期とも重なっています。

 2002年、環境基本法に脱原発社会を構築すると明記されました。しかしいつまでに脱原発社会を実現するかについては、定まっていませんでした。福島事故後、「2025年」というタイムラインが書き込まれました。

 2018年、「2025年原発ゼロ政策を撤回」すべきかどうかという国民投票が行われ、投票率54%、賛成が589万票、反対が401万票で、賛成多数で政策撤回が決まってしまいました。

 もともと2025年までに原発ゼロというのは野心的な目標ではありませんでした。現存する原発を40年間運転して、延長稼働しなければ、2025年には自然に原発ゼロとなるからです。ただ、見方をかえると2025年の電源構成には再エネ20%が含まれており、2016年時点で再エネが5%であることを考えると、再生可能エネルギーが原発に代替できるのかということに関しては不安がありました。

 では、なぜこの短期間の間に脱原発に向かい風が吹いたのか?

 背景として、民進党政権への不満が高まっていました。じつは今回の国民投票は、脱原発だけが議題ではありませんでした。10件の国民投票と地方統一選が同時に行われました。

 民進党政権は、エネルギーシフトに加え、年金改革や同性婚の認可を政策として進めてきました。そういった課題に対して、国民党を含め保守勢力は大きく反発し、国民投票で民進党政権の政策に反対しようと乗り出しました。

また、政権の実績に対しても、とくに経済政策がうまく行っていないという世論があり、一般国民の間でも現政権に対する反感が高まっていました。

 そこで、政権全体への信を問うも同然のような10項目の国民投票が浮上してきたのです。

 そこには、もう一つ背景があります。2017年に国民投票法が改正され(これも民進党政権肝いりで実現した)、国民投票の実施のハードルが下がっていました(有権者の1.5%が署名したら実施できることに。もともと5%だった)。皮肉ですが、民進党政権が進めた国民投票法改正が、保守陣営にうまく利用され、自分たちが自分たちの改革に飲み込まれた側面がありました。

 民進党が進めようとする同性婚政策を問う国民投票も反対多数で可決されました。地方統一選においても民進党は大敗を喫し、今回の投票結果は、エネルギーシフトや脱原発に民意が支持しないというよりは、民進党政権への不満の結果としてあらわれた現象とみたほうが妥当だと思います。

 また、政権側の対応も、後手に回りました。政策の一つである同性婚に関しては、とくに保守派の反対が強く、民進党が繊細な課題への意思表明を避けたかったため、原発についても強くでることができませんでした。

 さらに、議題提案者(台湾核エネルギー学会が主導した「以核養緑」国民投票運動が議題提起、表のリーダーは原子力支持任意団体(「核能流言終結者」)が務める。)が、エネルギーシフトの課題を壁として見せることに成功していました。つまり、脱原発政策を支える代替案がちゃんと整備されていないことを声高に叫びました。

 また、大気汚染問題に関する世論がとくに昨年から盛り上がっていました。脱原発を進めたため、火力発電が増やされ、大気汚染が深刻化したという論調が飛び交いましたが、原発が即時停止されたわけではなく、これは明らかに事実と異なります。しかし、こうした言説は、大気汚染問題が深刻な台中市や高雄市で国民党の市長候補者が選挙戦にとり入れたため、一気に広がりました。

 さらに、問題だったのはカンニングペーパー効果です。国民投票は発議されてから1ヶ月以内に投票が行われなくてはいけません。これでは十分な議論の時間ができません。内容をきちんと理解した上で投票した人はほんの一握りでした。

 ではみんな何に頼って投票したのか?SNSにどの議題になんと答えるかの解答例が出回りました。それに頼って投票した人が多かったのです。脱原発=大気汚染推進という画像も出回りました。フェイクニュースです。

 投票提起者は、これが脱原発法を削除する国民投票であると言わず、これは「以核養緑」のための投票だと説明していました。すなわち、再エネの普及は時間かかるので、2025年までに再エネ20%、LNG50%、石炭30%というエネルギーミックスは無理があり、なので原子力をもっと活用して、再エネの健全な普及を図ろうという意味です。

 (ちなみに、国民投票請求のための署名集めの最中には核エネルギー学会と東電が主催で「東電再建の道」という廣瀬直己会長講演会も行なっていたとのこと)

 実際にこの決定がどのような影響を及ぼすのでしょうか?

 第1・第2原発に関しては、運転延長期間の申請は間に合いません。第3原発は可能ですが、地方自治体首長は否定しており、活断層の問題もあります。第4原発は工事再開のために予算編成が必要です。

 現在、原発擁護派は第4原発の是非を問う国民投票を目論んでいます。また環境団体の説明会に乱入して、嫌がらせすらしています。

 今後、脱原発派は原発安全問題をもっと主張していくつもりです。日本で震災が起きてから8年。台湾でも記憶が薄れつつあります。原発事故の状況についても、引き続き台湾に伝えていく必要があります。

 また、自分たちの活動に資するような、今回の国民投票に対して対抗的な国民投票も考えています。

(聞き手・書き起こし:深草亜悠美)

台湾・エネルギーシフトの現場をたずねて(その1)

2017年1月、台湾は脱原発を政策的に決定しました。アジアにはもともと原発のエネルギーを使っていない国も、使おうとしていたけれど導入を見送った国もありますが、台湾のようにこれまで原発を利用していて、今後使用を止めると政策的に決めたのは、アジアでは台湾が初めてではないでしょうか。

FoE Japanは2017年4月に、脱原発をきめた台湾を訪問し、脱原発を求めていた市民や、今も活動している環境団体にヒアリングを行いました。幾つかに分けてブログで報告します。

台湾では、これまで保守派の国民党が原発を推進し、最大野党の民進党(民主進歩党)が原発に反対してきました。2016年、政権交代がおきて民進党政権になり、政策的に原発が廃止されることが決まりました。ただし2016年の選挙では、与野党両候補ともが原発廃止を公約に掲げていたそうです(第4原発の凍結も2014年で前政権の時です)。脱原発が政策として決定的になったのは、2017年1月の電業法の改正案の可決です。この改正は2025年までに原発を廃止することだけでなく、これまで台湾電力公社が独占していた電力市場を自由化させる内容も含んでいます。

まずはじめにお話を聞いたのは、台湾北部で活動をしている郭さんです。
郭さんは北部最大の環境連合の一つ「北海岸反核行動聯盟」のリーダーで、芸術家でもあります。

郭さんは小さい頃遊んでいた場所が第2原発のために接収され、思い出の場所が失われた経験から、地元に戻ったときに地域の歴史や文化を学び直して将来世代に残そうと思ったとのこと。その過程で、原発に関する多くの問題点を発見したそうです。

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プレゼン中の郭さん(右)

第2原発の計画が始まったのは郭さんが7歳だった1962年(注:着工開始は1975年)。父親は炭鉱労働者で、季節によっては農業も行っていたそうです。第2原発がある場所の近くで休みの時は友達と遊んでいた、と郭さんは回想します。そのあたりには3、400名ほどが住むコミュニティがありましたが原発建設に伴い、みな移転をしたそうです。この地域のお茶産業は完全になくなり、漁業も大きな影響を受けました。第二原発は新北市北部(台湾最北部)に位置します。

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第一原発の目の前で解説してくれる郭さん

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第一原発からの温排水

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第一核能発電蔽とかいてあるのが見える

当時は政府による原発計画に対する反対運動はほとんどなかったと郭さんはいいます。というのも台湾では戒厳令が1987年まで続いていており、市民活動に大きな制限があったからです。1993年、第二原発の汚染水が原因でとみられる奇形魚が大量に発見されました。それ以外にも資材を運ぶトラックの事故など「公式に記録されている原発施設・周辺の事故」が複数報告されています。しかし人々は原発についてほとんど情報を持たず、政府のプロパガンダを信じていたとのことでした。

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第2原発の排水口ちかくの看板。危険と書いてありましたが、釣りをしている人が何組かいました

戒厳令が解消された後、1989年から大きな脱原発運動が起こり始めたと郭さんは言います。よく第4原発に関する市民の行動が報道されるが、脱原発運動はこの北部と、蘭嶼島(先住民族の島で、放射性廃棄物の貯蔵施設がつくられ健康被害などが発生している)の二箇所が国内でもっとも大きいと思う、と話していました。

現地で活動している他の方々にもお話を聞きましたが、やはり東京電力福島第一原子力発電所の事故がおよぼした影響は大きかったとのことで、文化的にも地理的にも近い日本での事故は他人事には感じられなかったそうです。台湾の大きさはだいたい九州と同じくらい。二つの原発を抱える北部の人々は逃げる場所がないと感じ、311のあとに大きな反原発デモが起きました。第1・第2原発から台北までは車で1時間、距離にして40キロほど。台北の人口だけでも200万人です。

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気候変動に取り組む台湾ユースと一緒にヒアリングを行いました。筆者中央。

郭さんに台湾の脱原発政策について尋ねてみました。郭さんは、「喜ばしいことではあるが、台湾が脱原発をするといったのは初めてではない。2000年も2008年もそういった動きがあったが、実現しなかった。」他に話をきいた現地の方(写真のピンクのシャツの方と青いシャツの方は現地で脱原発活動に参加している方)も「政治家は野心的な目標(脱原発)を掲げているのに、行動が謙虚すぎる。政策は正しいが、もっと積極的に行動してほしい」と話していました。

さらに郭さんは「台湾には将来的に脱原発・脱石炭という同意(コンセンサス)があり、原発に関わっている市民・石炭に関わっている市民はその目標を共有している。」と話します。

脱原発と脱石炭一緒に掲げるのは現実的でないと批判があるのでは?との質問に対し、「どちらかをやめたらどちらかが必要なのではないかという意見や、批判をいうのは、運動の外にいる人たちが言っていることだ。今必要なのは、このエネルギーの未来にむけてどのような変革をするか考えていくことだ。そのためには対話が一番大事だ。そして今政策に働きかける形で活動している」と話していました。

郭さんは、現在政府のエネルギーや持続可能な開発を考える委員会の委員に市民として就任しています。

実は脱原発を決めた台湾には、石炭火力に反対する市民運動も存在します。それについては次回報告します。

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みなさんありがとうございました!

(続く)

脱原発活動の新たな歴史

先日お伝えした、アメリカ・カリフォルニア州脱原発のニュース。経済規模も大きく、人口も多いカリフォルニアが脱原発するというのは、世界にも、そして日本にもとても意味がある事だと思います。
脱原発を勝ち取るに至った経緯をFoE USのスタッフ、ミシェルが語っています。

新たな歴史:ディアブロ原発閉鎖の道のり

By ミシェル・チャン

昨日(注:2016年6月21日)、PG&Eはディアブロキャニオン原発を閉鎖する計画であると発表しました。まさに歴史的でした。私はことの「重要さ」を示すだけに 「歴史的」という言葉を使っているのではありません。もちろん、本日発表された合意はとても重要です。

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ディアブロキャニオン前での反原発デモ、1979年6月30日(写真:Jessica Collett)

反対運動の歴史

本日発表された合意は、何十年もディアブロキャニオン原発に反対し続けた人々の声の上に成り立っているという意味で、とても歴史です。
ここ数ヶ月、PG&E(注:ディアブロキャニオンを有する事業者)との交渉が進む中、私は1985年に解散したカリフォルニアの主要な反原発グループ、アバロンアライアンスの膨大なオンラインアーカイブを読み込んでいました。
過去の新聞記事や、写真、個人の証言などを見返しながら、特に70年代や80年代に活動した何千人もの活動家達が成し遂げた事に私は感動し、そして謙虚な気持ちにもなりました。

1979年6月29日、どうやって5万人もサンルイスオビスポのデモに集めたのか、1981年、1960人の活動家が逮捕されながらも、どうやって建設予定地を何週間も封鎖したのか。

最近のキーストーン反対運動(注:アメリカとカナダを結ぶパイプライン建設計画反対運動。環境団体等の強い反対により中止となった。)と当時の反原発活動を比べると、キーストーンの活動が控えめにも見えてきました。

カリフォルニアでの反原発活動が、確固たる勝利を得て、今日の合意を可能にしたということは火を見るよりあきらかです。1976年からの新規原発建設モラトリアム(注:1976年にカリフォルニア州が定めたモラトリアム。連邦政府が最終処分場を決定しない・再処理施設を稼動させない限りは新規原発を建設しないとした。)、1989年のランチョセコ原発に市民達が反対の票を投じたサクラメントでの住民投票、そういった活動が今日の合意を可能にしたのです。2030年までに原発を含まない再生可能エネルギーからの調達の割合を50%にするという、2015年に可決されたカリフォルニアの法律まで、その歴史は続いています。

今日の合意は、これらの長年の、そして懸命な脱原発活動がなければ不可能だったでしょう。

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ブレーキングスルーパワー(注:アメリカで行われたイベント)で発言するデイヴ・フリーマン。2016年5月26日 写真:Slowking4

歴史との対話

このキャンペーンを通し、別の形で歴史を感じたのは、ディアブロ原発交渉で(また、2013年のサンオノフレ原発のキャンペーンでも)一緒に活動したキーパーソン、デイヴ・フリーマンの存在です。

未だに精力的で頭の切れる頑固者、そしてチャーミングな90歳のデイヴは、サクラメント都市工学適用地域、TVA(テネシー川流域開発公社)、ニューヨークパワーオーソリティ(注:ニューヨーク州の公共電力)、そしてロサンゼルス水・電力局の職を歴任。

彼は、我々のシニア戦略アドバイザー、デイモン・モグレンと二人三脚で働いた、チームの一員でした。

カリフォルニア大学バークレー校で行われたConversations with History(注:アメリカのテレビ番組。カリフォルニア大学が制作している。)のインタビューで、デイヴは「TVAで働いていたとき、彼らはさらに原発を建てようとしていた。彼らはすべての電力を原発でまかなうつもりだった」と話しました。

TVAでは、デイヴは‘実用的環境主義者’としての評判を高め、エネルギー効率化プロジェクトに投資する一方、8基の原発を停止、もしくは中止させました。

デイヴは、原発を停止する事は可能であると、様々な方法で、何十年も前から示していたのです。

彼はサクラメントにいた頃、1989年に住民投票で脱原発側が勝利したランチョセコ原発の閉鎖も監督しました。なので、PG&Eとの交渉の間、「この部屋にいる人間の中で、原発を停止・解体した経験がある唯一の人間が自分だ」と、デイヴは述べる事ができました。
我々が今関心を持っている原発で、デイヴがかつて監督したニューヨーク州のインディアンポイント原発という原発があります。デイヴは、そのアメリカの中でも最も危険な原発の一つを閉鎖するために働き続けるでしょう。

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Friends of the Earth創設者 デイヴィッド・ブラウアー

歴史は巡る

今日という日は、フレンドオブジアース(FoE)にとっても歴史的な日です。なぜなら、ディアブロキャニオン原発こそ、約50年前にFoEが出来たきっかけになったからです。
デイヴィッド・ヴラウアーが1969年にFoEを創設したとき、ディアブロキャオン原発はFoEの最初の取り組むべき課題であり、そして我々はそれ以来、ずっとたたかい続けてきました。
トーマス・レイモンド・ウィロックは彼の著書(『クリティカルマス:カリフォルニアにおける原発反対、1958-1978』)の中で、組織の創設期や反原発活動についてこう説明しています:

ブラウアーは、アメリカのエネルギーへの執着は、人間性の否定につながっていると考えた。そこで彼はFoEという組織に倫理性の側面をもたせようと決心した。

ブラウアーの何にも妥協しないというヴィジョンと、我々は環境問題に対して倫理的な立場を取らなくてはいけないという信条(例えば、ビジネス的に合理的だから、というような理由だけで環境活動をするのではない、ということ)は、今でもFoEのアプローチの中に根付いています。ブラウアーはこう言いました;

皆が違った考え方を持つ多元的な社会では、妥協して生きていかなくてはいけません。なので我々は妥協が出来る人を選んで、議会に送り込んでいます。ですが、環境の運動の中では妥協をすることは間違いです。我々が立ち上がっている物のために、発言していくべきなのです。—Living on Earth broadcast

私の20年のFoEでの活動の中で、何が政治的に合理的かよりも、正しい事の為に、立場を譲らずに戦って来た事は何度もありました。こういったアプローチをとる事で、ワシントンの政治的な動きの中では、孤立を感じることも多いです。

我々はよく、化石燃料、クリーンコール、原発、バイオ燃料、廃棄物エネルギー等、そういたすべての物に反対する団体だと批判されてきました。
では、我々は何のためにあるのか?そしてもし、私たちがこういった産業すべてに反対するのだとしたら、雇用はどうなるのか?実際に解決方法を推進していくために私たちは活動できるのか?もしかしたら、私たちは現実の世界で働くにはナイーヴすぎるのだろうか?

だからこそ、妥協せず、むしろさらに志を高めつつ、実際の世界(それも経済規模世界第6位のカリフォルニアで)で、取り組めた事はとても嬉しいことでした。

原発を閉鎖させるだけでなく、私たちは再生可能エネルギーや、エネルギー効率化、エネルギー貯蓄によって代替させるという約束をとりつけました。それはコミュニティーや労働者にとっても公平な変革や転換をもたらす事、Just Transition (公平な変革)を達成する手助けをする事もできたのです。

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サンオノフレ原発(写真:Shutter stock)

私たちの過去と未来

トーマス・ジェファソンは「過去の歴史より、未来の夢の方が好きだ」と述べています。
私は、カリフォルニアにおける反原発活動の歴史から多くの事学びました。同時に、今日の合意は、これから訪れる未来に対して、沢山の希望をもたらしてくれました。
私がそう感じる理由は、再生可能エネルギーと‘just transition’(公平な変革)です。

2013年にサンオノフレ原発閉鎖を達成したときに学んだ事の一つは、原発の閉鎖が順序だって達成されなかったために、その穴を埋めるために「汚い天然ガス」が導入されたことです。
私たちはディアブロキャニオン原発を閉鎖するための効果的なキャンペーンを始めるため、ディアブロキャニオン原発で発電されている電力が、再生可能エネルギーや、電力効率の改善、蓄電によって、(さらにそれらは経済的で温室効果ガスを出さないエネルギーでもあります)まかなう事ができるという事を示した、プランBを作成しました。

そのレポートを、2015年12月のPG&Eとの交渉に場に持っていきました。
さらにこの計画は、3億5千万ドルの保証金と、原発作業員のための再雇用教育がパッケージとなっていたことで、それによってこの共同合意に、国際電気工組合と、カリフォルニア公共事業労働者連合の参加を得る事ができました。
さらに、5千万ドル程の資金が、(つまり、原発が停止することによって失われる税収をやわらげることが可能になる)地元の政府に支払われることになり、地域が経済的に適合していく事を手助けしました。
公平な変革を確実にすることは、政治的に重要だけでなく、また倫理的にも必要不可欠です。

この合意は、原発だけでなく化石燃料から変革する時の青写真を、他の国々にも示したのです。
今日の声明は、一つの原発の終わりを意味するだけでなく、カリフォルニア全体の原子力エネルギーの終わりを示しています。

サンフランシスコクロニクル(注:地元の新聞)は‘原発時代の終わり’と報道しました。
労働者や地域が一緒になって、再生可能エネルギーとエネルギー効率が原発と石炭火力を代替する新しい日を描きました。
これはとても歴史的なことです。

著:ミシェル・チャン(プログラム部長)、翻訳:深草亜悠美

原文はこちら→
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カリフォルニア州が脱原発州に!

今月21日、FoE USはアメリカ・カリフォルニア州が原発ゼロになると発表しました。

カリフォルニア州最後の原発・ディアブロキャニオン原発を有するパシフィックガス&エレクトロニック(PG&E)社は、同原発の運転許可期間が終わる2025年までに原発をやめ、再生可能エネルギーを導入すると決定。

世界で6番目の経済規模を誇るカリフォルニア州が、再生可能エネルギーを導入しながら原発ゼロになるというのは、歴史的なニュースです。

原発をやめ再生可能エネルギーを導入するというのは、FoE USをはじめとする様々な環境団体が、長年提案して来たものです。こうした経緯をふまえ、PG&E社および環境団体、労働者の団体、による合同声明の形で、発表されたことも注目されます。

さらに共同声明のなかで、PG&Eは、2031年までに同社の供給するエネルギーの55%以上を再生可能エネルギーにすることを約束しています。

なお、ディアブロキャニオン原発の反対運動こそ、1969年にFoE USが出来たきっかけとのことです。

FoE USのプレスリリースはこちら (英語)

参考
California’s Last Nuclear Power Plant
米加州最後の原発閉鎖へ、再生エネに置き換え 2025年までに閉鎖、コスト増分の電気料金上乗せが条件

FoEUS_photo

Photo courtesy:FoE US
(写真はFoE USのツイッターより転載)

(スタッフ 深草亜悠美)

「100ベクレル/kg以上を原子力施設から持ち出さないよう厳重チェック」のはずが…「8000ベクレル/kg以下の除染土の公共事業への再利用」方針をめぐる第2回政府交渉報告

8000ベクレル交渉2

6月8日、放射性セシウム濃度8000ベクレル/kg以下の除染土を公共事業に再利用する環境省方針の撤回を求める第2回目の政府交渉を行いました。>資料

交渉に先立ち、みなさまにご協力いただいた反対署名5,429筆を二次提出しました。一次提出分10,305筆をあわせると15,734筆となりましたことご報告します。署名は引き続き継続しておりますので、ご協力ください。
http://www.foejapan.org/energy/fukushima/160416.html

さて、交渉には、環境省に加え、電事連、原子力規制庁も出席。
原子炉施設のクリアランス制度に基づく規制除外(

の廃棄物についても、敷地外に出す際には、国が定めた測定方法によって、国および事業者により厳しく測定が行われ、間違っても100ベクレル/kg以上の低レベル放射性廃棄物が持ち出されないようにチェックされていたことが明らかになりました。電事連によれば、100ベクレル/kg以下のものも、限られた場での展示にとどまり、一般には流通していないとのこと(原子炉等規制法の規則の改定の際の付帯決議によるものとのこと)。

今回の8,000ベクレル/kg以下であれば、再利用してしまえという方針の異常性が、ますます明らかになりました。

この前日の6月7日、環境省「中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略検討会」が開催され、同検討会のもとに置かれたワーキンググループの被ばく評価の結果が報告されました。同ワーキンググループでは、
1)工事中に、一般公衆及び工事従事者に対する追加被ばく線量が1mSv/年を超えないこと
2)供用時(工事のあと)の一般公衆に対する追加的な被ばく線量が10μSv/年を超えないこと
を前提とし、いくつかのケースで、土砂濃度や被覆の厚さの検討行い、上記の1)2)をクリアできる土壌汚染濃度と覆土の厚さを算出しています。

8000ベクレル管理シミュレーション結果
詳しくは以下のページの資料3p.6および資料4をご覧ください。
http://josen.env.go.jp/chukanchozou/facility/effort/investigative_commission/proceedings_160607.html

「クリアランスレベルの100Bq/kgとのダブルスタンダード」との批判に対して、環境省は「これらの除染土は管理された環境に置かれる」と繰り返していました。しかし、そもそも公共事業で使用するということは、「管理された環境下」の外に出すということでしょう。
遮水構造になっている管理型の処分場ですら、周辺に汚染が浸出することはよくあることです。ましてや、河川の氾濫、地震や津波などの災害時には、崩落や流出などが生じるでしょう。

道路作業を行っている作業者や住民への影響も、しきりと「追加被ばく量年1mSv以下になるよう」と繰り返していますが、道路作業を行っている人たちや住民・通行人が、放射線管理区域での作業のように積算被ばくが管理される状況でもなく、あちらでもこちらでも被ばくさせられる状況を強いられることになります。

さらに、2013年10月の内閣府原子力被災者生活支援チームの決定により、福島県で3,000ベクレル/kg以下の除染土を土木事業に使っていたのですが、現在までに海岸防災林などに23万トンの資材を使っているそうです。
近隣住民には説明しているのか?」という問いに対して、「市町村の同意はとっている。住民には市町村が適切と判断すれば、説明しているはず」との回答でした。つまり、環境省は、住民に説明されているかどうか把握しておらず、市町村の判断如何では、住民に知らされていないこともあるわけです。このこと自体ひどいことですし、今回の決定に基づき、8000ベクレル/kg以下の除染土が公共事業に使われることになったとして、住民がそれを知ることができるかどうか疑念が生じます。

質問と回答
Q:商業用原子炉の運転や廃炉にともなって発生した廃棄物のうち、クリアランスレベル(例:Cs137の場合100Bq/kg)を超えるものはどのような処理を行っているか。また、100ベクレル/kg以下の取り扱い、再利用実績については?

低レベル放射性廃棄物(固体)の管理・処分は、電事連のウェブサイトによれば、以下のようなことになっています。
• 使用済みのペーパータオルや作業衣など放射能濃度の低い雑固体廃棄物は、焼却、圧縮などによって容積を減らしてからドラム缶に詰め、原子力発電所敷地内の固体廃棄物貯蔵庫に安全に保管されます。
• フィルター・スラッジ、使用済みイオン交換樹脂は貯蔵タンクに貯蔵し、放射性物質の濃度を減衰させてから、ドラム缶に詰め、原子力発電所敷地内の貯蔵庫に保管します。
• ドラム缶に詰められた廃棄物は、その後、青森県六ヶ所村にある日本原燃の「低レベル放射性廃棄物埋設センター」に運ばれ、コンクリートピットに埋設処分されます。
(電気事業連合会)

100ベクレル/kg以下のものも管理区域内に保管し、国による測定を経たのちに外に運びだされ、事業者により管理されます。現在までに170トンの金属が再利用されましたが、一般の流通はさせておらず、ベンチ等の再利用品に加工され、展示されたりしているとのこと。

Q:「放射性物質汚染対処特措法」において、指定廃棄物の基準として8,000ベクレル/kgが採用された検討過程についてご教示いただきたい。

A:平成23年8月、「放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法」が成立。その後、9~12月、有識者による検討が行われ、平成23年6月3日付け原子力安全委員会「東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故の影響を受けた廃棄物の処理処分等に関する安全確保の当面の考え方について」を踏まえ、JAEAによる評価や放射線審議会による検討などを経て決めた。2011年12月に省令として決定。

Q:「福島県内における公共工事における建設副産物の再利用等に関する当面の取扱いに関する基本的考え方」(平成25年10月25日内閣府原子力災害対策本部原子力被災者生活支援チーム)には以下のように記されている。

「利用者・周辺居住者の追加被ばく線量が 10 マイクロシーベルト毎年以下になるように管理された状態で屋外において遮蔽効果を有する資材等を用いて利用する場合は使用可能である。例えば下層路盤材として利用する際には、30センチメートル以上の覆土等を行う場合は、3000 ベクレル毎キログラム以下の再資源化資材の使用が可能である。」

1)「30センチメートル以上の覆土を行う場合は、3,000ベクレル/kg」という数値の根拠についてご教示いただきたい。
2)「30センチメートル以上の覆土を行う場合は、3,000ベクレル/kg」が採用された経緯についてご教示いただきたい。
3)実際の再利用実績についてご教示いただきたい。
4)再利用について、近隣住民には説明されているのか。

A:1)2)→平成23年6月3日付け原子力安全委員会「東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故の影響を受けた廃棄物の処理処分等に関する安全確保の当面の考え方について」を踏まえ、利用者・周辺住民の追加被ばく線量が10マイクロシーベルト/年以下になるように検討を行った。

3)→海岸b防災林に23万トンの盛土材として使用。どこかについては言えない。
4)→地元の市町村が適切と認めれば住民に説明しているはず。(環境省としては市町村の同意をとっているだけで、市町村が住民に説明しているかどうかは把握していない)

Q:環境省が、東京電力福島第一原発事故の除染で出た汚染土を再生利用する初の試験事業を今夏にも福島県南相馬市小高区で始めることが報道されている。
1)同試験事業の詳細についてご教示いただきたい。
2)同試験事業を請け負うのはどこか。金額はいくらか。
3)「道路の基盤材などへの利用を試し、使った土は試験終了後に回収する。」とされているか、これは事実か。
4)周辺住民は同意したのか。

A:
1)→現在、南相馬市と相談中。小高地区の仮置き場の中に、除染土を使って盛り土をつくって、空間線量などのデータをとることになる。
2)→今後、公募をかけることになる。
3)→あくまで実証試験。
4)区長に説明して同意を得た。これから地権者の同意をとる。周辺住民の方々にも説明会、測定会を行い、理解を得るつもり。

関連記事)【8000Bq/kg以下は公共工事へ】被曝強いられる土木作業員~除染土壌の再利用へ突き進む環境省。南相馬市で実証実験も(民の声新聞)

「8000ベクレル除染土を再利用」方針の撤回を求めて…署名提出と政府交渉報告

8000Bq_No_署名提出8000ベクレル/kg以下の汚染土を公共事業で再利用する方針の撤回を求める署名にご協力いただきまして、ありがとうございました。
5月2日に、一次集約分の10,305筆と、団体賛同いただいた92団体のお名前とともに、環境省に提出しました。引き続き、署名を呼びかけておりますので、ご協力をお願いいたします。>オンライン署名はこちらから
※なお、この問題が「わかりづらい」というご意見をいただいたので、署名用紙とともに配布できるように、簡単なQ&Aを作成しました。署名用紙とPDFファイルをダウンロードできます。Q&Aは2頁目です。
http://www.foejapan.org/energy/fukushima/160416_petition.pdf

5月2日の集会および政府交渉では100人を超えるみなさんにご参加いただきました。
事前集会ではおしどりマコさん、高木学校の瀬川嘉之さんに解説いただきました。
福島のみなさんにもかけつけていただき、政府交渉には、全員参加型で臨みました。
おかげさまで、多くの重要な問題が、明らかになってきました。
以下政府交渉の際の簡単なやりとりです。資料はこちら(PDF

質問1:原子炉等規制法第61条の2第4項に規定する規則(※)では、再生利用の基準は放射性セシウムについて100ベクレル/kg以下となっている。今回の環境省方針(8,000ベクレル/kg以下は再利用可能)は、同法に矛盾するのではないか。
※製錬事業者等における工場等において用いた資材その他の物に含まれる放射性物質の放射能濃度についての確認等に関する規則(平成17年11月22日経済産業省令第112号)

回答:100ベクレル/kgは、廃棄物をどのような用途で再利用もいいという基準である。8,000ベクレル/kgは、責任主体が明確な公共事業において、管理を行い、覆土などの遮蔽の措置を設けた上での再利用。なお、8,000ベクレル/kgというのは上限の値で、今後用途別に被ばく評価や手法を検討した上で、年1mSvを上回る場合には、より低い上限を設けていく。

関連質問)原発の敷地内においては、低レベル放射性廃棄物として浅層処分を行うものを、敷地外においては、公共事業に再利用するというのはおかしいではないか。
→明確な回答はなし。

関連質問)8,000ベクレル/kgは、よく使われる係数(65倍)でキログラム換算すれば、52万ベクレル/m2。電離則によれば、放射性管理区域から持ち出し不可のもの(4ベクレル/cm2=4万ベクレル/m2 )よりずっと高い。それを認識されているか。
→明確な回答はなし。

質問2:「8,000ベクレル/kg以下の除染土を公共事業での再利用可能」とする根拠は何か。

回答:確実に電離則及び除染電離則の適用対象外となる濃度として、放射性物質汚染対処特措法における規制体系との整合も考慮して、8,000Bq/kg以下を原則とした。

関連質問:セシウム以外の核種をなぜ考慮しないのか。ストロンチウムなどは計測できるのか。

→明確な回答はなし。セシウムが一番、重要と考えられるからというような趣旨。

質問3:当該方針を実施するための法的手段はどのようなものか(改正する法律名・規則名など)

回答:放射性物質汚染対処特措法に関連すると考えるが、具体的には、次回の検討会で議論される。スケジュールは決まっていない。

質問4:建設作業員、周辺住民の被ばく限度は、年間何マイクロシーベルトを想定しているか。

回答:追加被ばく線量として、年1ミリシーベルト。覆土等により、10マイクロシーベルト/年を実現する。

関連質問)
・「追加」被ばく量であり、年20ミリシーベルト基準で帰還させられた地域では、年21ミリシーベルトになってしまうが、どうするのか?
・「年20ミリシーベルト以下で帰還」基準との整合性は?
・他の化学物質等で、実際の濃度ではなく、住民等への暴露量として基準が決まっているものはあるか?
→いずれも明確な回答なし。

質問5:「4」の計算根拠を示されたい。ほこりの吸い込みによる内部被ばくを考慮するか。

回答:用途ごとの被ばく量を計算中である。次回の検討会で示し、議論される。内部被ばくも評価する。次回の検討会の日程はまだ決まっていないが、事前に環境省のウェブサイトに掲載される。

質問6.大雨、地震や津波などにより崩壊・流出は考慮されているか。

回答:今後、評価する。

質問7.検討会のもとにおかれた「放射線影響に関する安全性評価ワーキンググループ」のメンバー、議事録は非開示とされている。
環境省は、非開示の理由について、「ワーキンググループ関連資料は、ワーキンググループ委員による率直な意見交換を確保・促進するため、また、検討段階の未成熟な情報・内容を含んだ資料を公にすることにより、不当に国民の誤解や混乱を生む可能性があるため」としているが、非公開では、どのようなプロセスや根拠で本方針が導かれたのかガわからない。
匿名をいいことに、無責任な発言や決定が行われる可能性もある。
1)改めて、ワーキンググループのメンバー、資料、議事録の開示を求める。
2)ワーキングメンバーの選定はどのように行ったのか。
3)今後は、本件に関する国民の強い関心にかんがみて、当該ワーキンググループは、公開の場で開催すべきであると考えるがいかがか。

回答:ワーキンググループのメンバー、資料、議事録は開示できない。その理由はすでにお示ししたとおりである。なお、検討会の場で、ワーキンググループの結果が議論されるので、透明性は確保できる。

質問8:工程表に、「低濃度土壌の先行的活用」とあるが、具体的にはどのようなことか。

回答:分級処理、過熱処理などを行ったうえでの低濃度土壌を活用するというもの。場所や具体的な内容、どのくらい「低濃度」なのかについては、まだ決まっていない。

質問9「中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略」の2016年度予算額およびその内訳を示されたい。

回答:
技術開発戦略策定調査(1億円)
専門家による委員会を設置し、①減容技術の現状及び課題とその対 応案、②再生利用に関する課題の検討、③減容・再生利用等技術開発 戦略の検討等を行う
直轄研究開発・実証 (10億円)
除去土壌等の減容・再生利用の早期実現に向け、ベンチスケールの 分級プラント等により、①機器の性能評価、②処理後の土壌性状や濃 縮残渣の各種試験、③土木資材等へのモデル的活用等を行う。
→具体的な場所はまだ決まっていない。
再生利用の促進に関する調査研究(1億円)
除去土壌等の再生利用に向け、関係省庁の研究機関や学会等とも連 携し、①再生利用先の用途、②再生資材の品質、③放射線安全に関す る評価項目の考え方等の検討を行う。
減容・除染等技術実証事業(2.3億円)
将来活用可能性のある技術の小規模実証・評価を行う。

予算

予算

質問10:本方針は、そもそも大量の除染土(最大約2,200万m3)の存在が前提となっている。住民の意向に沿っていない無理な帰還政策や、それに伴う無理な除染のあり方そのものを見直すべきではないか。

回答:除染土を減らすための努力は行っていく。

その他の質疑。

質問:福島県に住んでいるが、減容化施設が住民に説明もなく、いきなりつくられることに懸念している。
→きちんと住民の方々に説明を行っていく。

指摘:福島県の避難指示区域からの避難者だが、「帰らない」人が圧倒的に多く、それでも、「帰る」人のために除染に同意している。

質問:いったい誰がこのような方針を検討しろと言ったのか?
→とくに「誰が」というわけではない。

質問:建設業界団体か?
→いや、建設業界からは、むしろこのような資材は、「使いづらい」という意見もある。

指摘:コストをかけた高い建設資材を、ただでばらまく気なのか。

質問:自治体から、再生資材を使いたいという要望があるのか?
→ない。

質問:国が利用してもらうために「インセンティブ」をつけるということだが、具体的には?
→お金になるのか制度的なインセンティブになるのか分からないが、国としては利用を促していく

質問:まず、「再生利用」ありきではなく、再生利用するのかどうかということについて、広く意見を求めるべきではないのか。
→国民の理解を得るためのさまざまな施策をおこなっていく。

質問:撤回すべき、という意見が多い場合は、撤回されるのか。
→国民の理解を得ていくための取り組みを行っていく。賛否両論あると思う。必要に応じて、撤回ということもありうるだろう。

質問:管理型の処分場ですら、汚染物質がもれでることは枚挙にいとまがない。公共事業に使うということは、環境中に拡散されてしまうことになる。
→そのようなことがないように、今後、しっかりと管理手法を検討していきたい。

関連記事)

「8,000Bq/kg以下の除染土を公共事業で再利用」方針の矛盾と危険性

「8,000Bq/kg以下の除染土を公共事業で再利用」方針の矛盾と危険性(解説と資料を掲載しました)

FoE Japanの満田です。「8,000Bq/kg以下の除染土を公共事業で再利用」方針の問題点について、解説します。

5月2日政府交渉資料>PDF  >署名はこちら  説明用パワポ資料

環境省「中間貯蔵除染土壌等の減容・再生利用技術開発戦略検討会」は、3月30日、東京電力福島第1原発事故後の除染で出た汚染土に関し、8,000ベクレル/kg以下の汚染土を、「遮蔽および飛散・流出の防止」を行った上で、全国の公共事業で利用できる方針を決定した。「周辺住民などの追加被ばく量は、工事中は年間1ミリシーベルト、工事終了後は年間10マイクロシーベルトに押さえられる」としている。

しかし、そもそも3・11以前から今に至るまで、原発施設などから発生する100ベクレル/kg以上のものは、「低レベル放射性廃棄物」として、厳重に管理・処分されてきた。今回の「8,000ベクレル/kg以下、再利用しちゃえ」基準は、2011年時に、「非常時だから8,000Bq/kgを通常のゴミと同様に処分してしまえ」という環境省の方針を、さらに。緩めたものだ。

環境省は、8,000ベクレル/kgの除染土再利用したときに、「工事中年1ミリシーベルト、工事後、年10マイクロシーベルト」を確保するとしている。以下が環境省が示しているの放射線防護のイメージ図だ。

放射線防護のための管理のイメージ

放射線防護のための管理のイメージ2

が、驚くべきことに、どうやら、環境省は「8,000ベクレル/kg」の除染土を公共事業に再利用したときの被ばく評価はしていない。以下の資料からすれば、8,000ベクレル以下でも容易に、1mSv/年、10μSv/年を超える。

環境省)下層路盤材への再生利用における放射性セシウム濃度

(出典:環境省「安全性確保を前提とした 再生利用の考え方等について」平成27年12月21日 p.7)

環境省の資料からも、周辺の住民の被ばくのリスクや、環境汚染のリスクは十分うかがえる。

被ばく線量評価について

原子炉等規制法第61条の2第4項に規定する規則では、再生利用の基準は放射性セシウムについて100ベクレル/kg以下となっている。これは、原子炉施設のクリアランス・レベル(これ以下は放射性廃棄物として扱わなくてもよいというレベル)については、総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会廃棄物安全小委員会において、2004年(平成16年)に報告書を取りまとめ、2005年(平成17年)に原子炉等規制法を改正し、クリアランス制度を導入した。これだって、相当「甘い!」という批判があった。
このクリアランスレベルを算出するための線量の目安は、10μSv/年とされた。さらに33種の放射性核種を想定。複数の核種の場合は、それぞれの濃度に応じた評価を行うこと、国の「検認」を2段階で行うこととしている。

(以下は原子炉施設のクリアランスレベルだが、単位がBq/gとなっているので、Bq/kgに換算するためには千倍となる。複数の核種が混じっているときは、その分量に応じて、トータルとして基準濃度を超えないようにすることになっている。)

クリアランス

クリアランス実施の手順

出典:原子力安全・保安院「原子炉等規制法におけるクリアランス制度について

今回の8,000ベクレル/kg再利用基準に関しては、上記のクリアランス基準が無視されたあげく、少なくとも、以下が説明されていない。

1)吸い込みによる内部被ばくは?…放射性物質が付着したほこりや浮遊粒子状物質が空気中に舞い上がり、相当程度、「吸い込み」により内部被ばくが懸念される。
2)累積被ばくは?
ただでさえ被ばくが懸念されるような地域の場合、さらに追い討ちをかけることに?
3)他の核種は?
放射性セシウムだけの評価でよいのか?

根本的には、本方針は、そもそも大量の除染土(最大約2,200万m3との存在が前提となっている。住民の意向に沿っていない無理な帰還政策や、それに伴う無理な除染のあり方そのものを見直すべきではないか

本戦略の対象は、福島県内における除染等の措置により生じた除去土壌等及び事故由来放射性セシウムにより汚染された廃棄物(放射能濃度が10万ベクレル/㎏を超えるものに限る)であり、その総発生見込み量(平成27年度1月時点における推計値)は、最大で約2,200万m3である。

除去土壌等の放射性セシウム濃度(平成27年度1月時点における推計値)

放射性セシウム濃度 除去土壌 内訳
8,000Bq/㎏以下 約1,000万m3 砂質土約600万m3、粘性土約400万m3
8,000Bq/㎏超10万Bq/㎏以下 約1,000万m3 砂質土約300万m3、粘性土約700万m3
10万Bq/㎏超 1万m3 主として粘性土

除染進ちょく

田村市、楢葉町、川内村、大熊町、葛尾村、川俣町、双葉町は面的除染が終了。

しかし、この除染は、早期帰還方針が前提であり、明確な線量低減の目標値もないままに進められている。

住民の多くは、「まだ帰還できない」と感じているのにもかかわらず、避難者の支援を打ち切り、半ば強制的に帰還を進めようとしている。
除染のあり方また、除染土の処理については、総合的で幅広い議論が必要だ。

住民の帰還に関する意向

関連記事1>汚染土壌の再利用問題…環境省からの回答「ワーキンググループは混乱をよぶため非公開」

関連記事>一億総被ばくの国家プロジェクト… 8,000ベクレル/kg以下の除染土を 全国の公共事業に!?

チェルノブイリ原発事故から30年。私たちが学ぶもの。

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1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故から今日で丁度30年。FoE Japanは、東京で講演会を行いました。(NHKにも報道されました

講演会にはチェルノブイリ被害調査・救援女性ネットワークの吉田由布子さん、小児科医でチェルノブイリ子ども基金顧問の黒部信一さん、そして写真家で、311甲状腺がん家族の会副代表世話人の飛田晋秀さんにお越し頂き、 被害解明と救済の道筋を見つめるというテーマで、お話を頂きました。

(資料は後日ウェブサイトに掲載予定です)

吉田さんからは、チェルノブイリ事故後甲状腺がん等その他の病気が多発していても、事故との関係性は認められず、10年たってようやく甲状腺がんは認められた経緯等をお話しされました。また、現在においても甲状腺がんに注目されがちですが、その他の癌以外の疾病の増加なども調べるべきという指摘もありました。

黒部さんは長年「チェルノブイリ子ども基金」のメンバーとして、チェルノブイリ事故の被害を受けた地域の人々への支援を続けてきました。黒部さんは保養(低線量の地域ですごすこと)の大切さや、子どもたちに希望を与えることの大事さを語られ、また、社会科学的にみて貧困層などが綺麗な食べ物や土地にアクセスする事が出来ず、癌などの疾病が多いのだということを指摘されました。

写真家の飛田さんは、福島の現状を見て復興だなんてとんでもない、まだ何も始まってすらいないと悲しい怒りがこみ上げて来たと話します。また、甲状腺がんを患った家族がいる家庭では、癌の話がとてもしにくく、社会から孤立している現状に手を差し伸ばすために、甲状腺がん家族の会を立ち上げられました。

また、私深草からも昨年行ったベラルーシ視察の報告を簡単に行いました。

先日のJapan Timesの記事によると、ベラルーシの牛乳からベラルーシの基準値の10倍の放射能汚染が検出されたそうです。30年経った今でも、事故後の汚染が続いています。

ベラルーシは元々自然が豊かで、多くの人がダーチャとよばれる家庭菜園で採れる食べ物を食卓に並べています。キノコやベリーは人々が好んで食べる食品の一種。そういった物に放射能はたまりやすく、ベラルーシの方の内部被曝が心配されます。

一方、ベラルーシのルカシェンコ大統領は先日のUNDP(国連開発計画)の高官とのインタビューで「30年前には土地を一生失ってしまったと感じていたが、今はそうではない」と答え、復興を強調しています。

実際にはどうかというと、私たちが昨年ベラルーシを訪れて見聞きした状態とはかなり違うと思います。病気の多発が報告され、貧しい人々がより癌やその他の健康リスクにさらされているという現状があります。

ベラルーシの政治は、独裁的で、市民の活動が大幅に制限されているという実情があります。
私が昨年ベラルーシで出会った学生も、「ベラルーシで原発建設が進んでおり、反対しているが、デモ等をしたら学校に行けなくなる。就職できなくなる」と話していました。

イベントのアンケートでは、ベラルーシの状況が今の日本の状況と重なるという声も沢山聞かれました。

福島第一原発事故から、5年。早くも自主避難者への支援などは打ち切られようとしています。
様々な問題が山積しているにもかかわらず、人々の関心も時が立つにつれ、薄れていっています。

だからこそ、声を上げ続けていく必要がある、様々な形で事故の事を伝えていく必要があると感じています。(スタッフ 深草)

参考
Despite Chernobyl, Belarus goes nuclear

収まらない地震…原発本当に止めなくていいの?

4月14日より発生している熊本県・九州地方での地震により、被災されたみなさまへ心よりお見舞い申し上げるともに、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。

今日、「川内原発止めて」署名を、呼びかけ人の高木博史さんとともに提出しました。
避難先での苦しい生活や、収まらない地震に大きな不安を抱えている人が沢山いますが、鹿児島の川内原発の安全性に関しても、また福島原発事故のような事故が起こるのではないか、原発を一度止めるべきではないのかと、多くの人が不安の気持ちを抱えています。

熊本出身の高木さんもそのような方のうちの1人。高木さんは「故郷を’帰れない場所’にしたくない」との思いから、署名を開始。署名には最初の36時間で3万を越える賛同が集まり、4月21日現在では10万を越えています。

これまで集まっている約10万筆の署名を携え、内閣府への申し入れに同行。少なくとも10万を越える市民が川内原発の安全に不安や疑問を感じている事、安全第一というならば一度止めて、検査すべきであるということ、などをお伝えしました。陳情には、原発ゼロの会世話人でもある近藤昭一議員も駆けつけました。

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署名は川内原発がとまるまで集め続けるとの事。
是非まだの人はぜひ署名を。
> https://goo.gl/vLAlTf