地球環境と社会のために私たちにできること…代表理事ランダル・ヘルテン インタビュー(その1)

 2020年、FoE Japanは設立40年目を迎えます。人生で言えば40歳は不惑と言いますが、日々目まぐるしく変化する社会や環境の中で、私たちがすべきことや考えることも変化し、目の前の課題や目指す社会を達成する取り組みについて、私たちは常に模索しているとも言えます。

 一方で、FoE Japanが40年かけて蓄積してきた知恵や活動実績、市民の皆さまからのサポートも、今のFoE Japanの礎となっていることは確かです。

 これまでの数十年、そしてこの先10年、そのまた先を見据え、私たちに何ができるか。2020年は、少し立ち止まって考えながらも、着実に前に進む一年にしたいと思います。

(聞き手:スタッフ深草)

深草)最初に自己紹介をお願いします。

ランディ)ランダル・ヘルテンと言います。カナダで生まれ、若い頃はキャンプやハイキングなど、自然の中で過ごすのが好きでした。親が航空会社に勤めていたこともあり、若い頃にいろんな国を見ることができました。高校を卒業し、日本から電気製品を輸入しアメリカで販売する仕事につきました。その後、大学でマーケティングを勉強して、卒業後の1988年秋に来日しました。最初はビジネスコンサルティングの会社にいたのですが、環境問題について大変な危機感も抱いていて、ボランティアできる団体を探したところ、FoE Japanを見つけました。最初はハイキングプログラムに参加し、その後オフィスでのボランティアもしました。その時は「地球の友」という名前で活動していました。1989年からなので、もう30年の付き合いになりますね。

(写真)ランダル・ヘルテン

深草)当時はどのような課題に取り組んでいたのでしょうか?

ランディ)まずは設立経緯について。1980年当時はもちろん自分はいませんでしたが、FoE Japanの創設者の一人である田中幸夫さんが、アメリカでFoEの創設者であるデイビッド・ブラウアーに会ったところ、日本にもFoEを作ってはどうかと提案されたことがきっかけで、FoE Japanが創設されたそうです。FoE Japanとしての一番最初の活動は、エイモリー・ロビンスを日本に招いて、スピーキングツアーをすることでした。彼の1978年の著作である”Soft Energy Paths: Toward a Durable Peace”を読むと、彼の話は今も重要であることがわかります。彼は、原発は危険であり、再生可能エネルギーこそ私たちが選ぶべき道であると述べています。また、エネルギーと平和のつながりを語っています。

 1990年代のFoE Japanも、今と同じく森林の問題や、エネルギー問題、気候変動、開発金融の問題に取り組んでいました。そういう意味では一貫性がありますね。特に、90年ごろに大きかったのは「金融と環境」と熱帯林保護です。当時のFoE Japanのやり方として、海外のFoEとの繋がりを生かしつつ、日本国内でキャンペーンやネットワークを作って活動するパターンが大きかった。熱帯林行動ネットワーク(JATAN)がFoE Japanの中にできて、その後はサラワク・キャンペーン委員会ができました。また、90年代半ば、日本湿地ネットワークの創設に貢献しました。90年代は、ロシアの森林に関するキャンペーンも規模が大きかったですね。シベリアトラの保護活動などもしていました。80年代には国内の環境団体がとても数少なく、海外のマスコミは(日本の環境活動に関する)情報が得がたかったと聞いています。そのため、海外からの問い合わせがたくさんきました。当時、日本の情報を海外に流す、そして海外の情報を国内に流す、というのはFoE Japanの大きな役割だったと思います。

深草)90年代に、開発金融や森林問題についての活動が大きかったとのことですが、その当時社会的にも大きく認知された問題だったのでしょうか?当時のFoE Japanがそれに注力した背景には何があったのでしょうか?

ランディ)1989年に500人くらいのアマゾン地域先住民族等が、ブラジルで大規模ダムの反対キャンペーンのための集会を行いました。アルタミラ集会(The Altamira Gathering)と呼ばれています。日本からは、田中幸夫さんがこの会議に参加し、インスピレーションを受けたのではないかと思います。

 その後、90年代に今も協力関係が続くPARCなど他団体と協力してインドのナルマダダム建設に反対するキャンペーンを行いました。ナルマダダムは世界銀行の融資によるプロジェクトで、世界銀行が環境破壊や人権侵害しているとして国際的な反対キャンペーンがあり、日本の窓口がFoE Japanでした。FoEのスタッフもインドに行って調査を行い、91年ごろに日本で大きな会議もやりました。その時、OECF(注:注:海外経済協力基金。国際協力銀行(JBIC)を経て、現在は国際協力機構(JICA)の円借款部門)の関与するプロジェクトでの環境人権問題に関する問題提起をかなりやりました。日本政府はびっくりしたと思います。FoE Japanの活動のインパクトはあったのではないでしょうか。その流れが2000年代初めにJBIC環境社会配慮ガイドラインを作成させるという活動につながりました。

(写真)奇跡的に残っていた1997年のニュースレターより。2001年以前のニュースレターをお持ちの方ぜひFoEにコピーを送っていただけると嬉しいです!

深草)今も日本の公的資金や開発金融が引き起こす問題は解決していませんし、むしろ金融機関による人権侵害や環境破壊の状況は悪くなっている気がします…。

ランディ)20代のころから、人口が増え環境破壊がどんどん進み、人類が危機にあるという感覚がありました。80年代後半に日本に来て、これからの人生を考えた時に、人類に貢献したいという気持ちがありました。FoE Japanを見つけて、魅力を感じたのは、国際的なネットワークを持っているけれども、草の根の活動をしていること。それは今も変わってないですよね。もう30年関わっていますが、今も毎日ニュースを見て、気候変動やマイクロプラスチック、海面上昇、生物多様性の問題など、すべて悪い方向に向かっている…。だらこそ、FoEのネットワークの効果を期待しています。こういう仕事は終わりがないと思います。継続することがとても大事。一つの成功があっても、「システム」に問題があるので、それを変えるためには、活動を継続しないといけないと思います。

(写真)2001年のニュースレター。坂本龍一さんの寄稿が!

次へ続く


【COP25 vol.6】市民の警鐘は会場に響くか? 参加権利剥奪を伴った大規模抗議

12月11日14時40分、各国閣僚が交渉を実施する会場の前で、笛の音が響き渡りました。この合図の下、気候正義を求める市民団体、若者グループ、女性団体、先住民族団体、労働組合等の多くの市民団体と人々が連帯し、先進国に対して野心の引き上げ、気候危機に対しての行動を求める大規模なアクションを起こしました。

一週間以上にわたったこれまでの交渉では、重要な議題にほぼ進展はありませんでした。重要な議題に中には、歴史的に気候変動の原因を作り続けてきた先進国や企業に求められている、すでに深刻化しつつある損失と被害を受けているコミュニティへの資金提供も含まれます。その代わりに交渉の場から聞こえてくるのは、交渉のグリーンウォッシュ化、間違った気候変動対策、そして抜け穴だらけの市場メカニズム等、気候危機をさらに加速させるような内容です。

さらに、先進国は人権保護メカニズム、ジェンダーアクションプランを市場メカニズムから取り除こうとしています。このような状況に危機感を覚えた市民社会がアクションを企画。当初、参加者は会場内でスピーチを試みましたが、会場の警備の強い指示の下、外へ移動。

外に出てもなお、人々の口から発せられたのは、気候危機の回避に欠かせない社会公正実現の必要性、女性への不公正や妹(姉)が受けた暴力への怒りと悲しみ、先住民族が先祖代々管理してきた土地・森林・水を利益のために奪われつつある現状、未来への危機感、そしてそれでも立ち上がるという市民の歌。このように、スピーチをした気候正義のためにたたかっている人々は皆、口を揃えて「ここで発せられている言葉は抗議の場に集まった人々たちのものだけではなく、自分は世界で苦しむ何百万もの人々を代表している」と訴えました。

当初、参加者らは交渉会場の前で、 “cacerolazo(カスロラゾ)”という、本来の開催国であったチリを含む南米等で頻繁に採用される、鍋やフライパン、その他の道具を叩いて注意を引く抗議スタイルに倣い、手もちのカップやCOP会場で配られたカトラリーを使って音を鳴らしながら、最後の交渉に向かう各国大臣たちに、パリ協定下での市場メカニズム導入への反対、損失と被害への資金援助の強化、そして人権尊重を訴える予定でした。

同時に、交渉会場の外で開催されていた市民サミットに参加していた人々も、交渉会場の入り口まで押し寄せ、会場内でのアクションと同時のメッセージを発信すべく、手持ちの道具を使って音を鳴らしていたそうです。

総参加者数は約320人。しかし、アクションに参加したしていないにも関わらず、イエローバッヂ(交渉の傍聴団体)の参加者は、この日の会場の出入りを禁じられることになりました。

行動の実施が伴わないスピーチが続いてきた25年間。

すでに途上国の何十億人もの人々は、気候危機によって荒廃した生活をすでに目にしています。

市民社会はそのような空虚な言葉へのあきれを通り越して、必死になって「Climate Justice(気候正義)」の実現を、各国政府に訴えています。

交渉の場に叫ばれた人々の声、先進国が行動を起こさないことに対する市民からの警鐘とも言えるカセロラゾの音が、各国代表に届いていることを望みます。

(高橋英恵)

COP22マラケシュ会議が始まる! パリ協定発効後初のCOPのゆくえは…

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雨のマラケシュで、COP22マラケシュ会議が始まりました。
昨年12月、国際的な気候変動対策としてパリ協定が成立しました。すべての国が参加する、法的拘束力のある協定です。11月4日に発効条件を満たし発効しましたが、日本ではまだ国会承認されていません。パリ協定には危険な気候変動を止めるため、気温上昇を1.5度までにおさえることが明記されており、今や各国、多くの企業も気候変動の危険性や緊急性を認識し、行動を起こそうとしています。

パリ協定の1.5度目標を達成するためには、野心と実際の行動のギャップを埋める必要があります。各国が表明している削減目標を足しても、3.5度の温度上昇はさけられない状況と言われていますが、最新のUNEPのレポート(Emission Gap Report 2016)によると、今世紀末までに2.9から3.4℃の気温上昇が予測されています。
すでに途上国を中心に気候変動の被害は広がっており、日本も例外ではありません。気候変動を止めるためには、より具体的でフェアな行動を今すぐ起こす必要があります。

日本は残念ながらパリ協定の承認には至っていません。歴史的にエネルギーを大量消費し、今も化石燃料の開発・利用を続ける日本には気候変動に対し非常に大きな責任があります。化石燃料、大型ダム、原発などの、中央集権的、企業利益優先の”dirty energy”(汚いエネルギー)に頼った経済構造からの変革が求められています。日本は、歴史的・倫理的な責任を認識し、また過去の反省をふまえて、率先して行動をする必要があります。

マラケシュ会議では、パリ協定の実施運用のためのさらなるルール作りが進められていきます。
これから2週間、COPの現場から、世界の市民社会の動き、若者の動き、気候変動による損失と被害の枠組みや、気候変動により移住をせまられている人々(気候難民)、などについて報告したいと思います。

>日本の長期低炭素戦略へのFoE Japanの提言書はこちら
http://www.foejapan.org/climate/policy/161101.html

>FoE International のプレスリリースはこちら
http://www.foei.org/press/paris-agreement-cop22-marrakech

(スタッフ・深草)