日本にもあった違法伐採!! 波紋拡がる宮崎県の盗伐事件(15)

第六回 えびの市大字西長江浦(その3)

 2021(R3)年8月27日、田村貴昭衆議院議員が本稿で紹介している志水惠子さんの被害地を含む宮崎県えびの市の盗伐被害地を視察しました。現場にはえびの市議、高鍋町議など共産党系議員や報道関係者に加え、えびの市役所から2名、そして志水さんをはじめ宮崎県盗伐被害者の会からも3名参加しました。国会再開後、再び農林水産委員会などで論議され、解決に向けてまた一歩前進することを期待します。

 今回も、前回に引き続き、志水惠子さんの事件を紹介します。
 ※今回も被害当事者の志水惠子さんのご了承を得て、実名で記述しております。

紆余曲折の末、えびの警察署による実況見分
 2020(R2)年10月2日、えびの警察署員4名(男性3名、女性1名)による実況見分が実施されました。所要時間は2時間40分でした。
 まず警察は、志水さんの所有地周辺の杭(林道側の3本(宮崎県、えびの市、日本道路公団)、ニンニク畑側の3本(日本道路公団))を確認しました。次に、ニンニク畑周辺の確認作業に入り、伐り株の採寸、伐根の測量を実施しました。
 その後の志水さんの所有地全体の伐り株探しは難航しました。志水さんが2016(H28)年に立木の一部売却を検討すべく下見に行ったとき、林床はとても歩きやすい状態でした。志水さんは警察に「林内にも盗伐されずに残った5~6の伐り株がある」と伝え、警部(課長)A氏から「志水さんも中に入ってください」と促され、伐り株探しに協力し、枝に埋もれて隠れていた大きな伐り株を3つ探し出しました。その後、警部(課長)A氏とM氏とで、追加で3つずつ見つけ、全員が「まだある」と感じたのか、より積極的な伐り株探しになり、最終的に29の伐り株を特定し、採寸しました。
 その作業中、志水さんは警察から「ヒノキとスギの見分け方を教えてくれ」と質問され、「切り株からではわからない」と回答すると、警察は熱心に樹上を見上げて葉を確認したそうです。その結果、警部(課長)A氏は「この山はほとんどヒノキですね」と感想を述べました。

えびの署、あきれたその後の対応
 ようやく実現した警察による実況見分。順当にいけば、その後は警察による捜査が始まるものと期待されたのですが、事は想定外の方向へ進んでいきました。
 10月の実況見分の後、11月5日、えびの警察署から連絡を受け、署に出向くと警部(課長)A氏より「志水さんの件は時効です」と伝えられたのでした。これに納得いくはずもなく、志水さんを含む宮崎県盗伐被害者の会では11月25日、宮崎県警察本部を訪問し、苦情申出を行いました。県警本部監察課警部I氏、警部補K氏と面会し、「文書での回答」を強く要請しました。
 その後、志水さん以外の川越静子さん、川越員さん(それぞれ本ブログ第二回、第三回で紹介)に対しては、宮崎県公安委員会から文書での回答を得ました。ただし内容は「調査の結果、一連の職務執行は適正であった」というものでした。
 業を煮やした志水さんは、2020(R2)年12月21日、えびの警察へ電話で問い合わせたところ、「えびの署では書面での回答はしていない。県警本部監察課からも何も聞いていない」という返答で、書面での回答を断られ、電話上で口頭での回答となりました。以下に志水さんの苦情申出の内容と、えびの署副署長H氏の回答について記します。

苦情1:2020年2月えびの警察署訪問の事実が否定されていること
えびの署の回答:2020年4月21日の訪問が最初で、その際に対応したのは刑事生活安全課のS氏1名。

 志水さんは2020年2月に2度、訪問をしており、複数の人々がその事実を認めています。2020年2月の初めての訪問の際、えびの署S氏から「貴方の山であることを証明できますか」と問われたため、鹿児島県湧水町木場の土地家屋調査士T氏にも相談、調査依頼をしており、T氏もそれを証言しています。さらに2020年4月21日の訪問時の対応者はS氏のみでなく、警部補M氏が加わり2名での対応だったことも捻じ曲げられてしまっています。

 その後、2021年1月8日、電話での回答では聞き逃しがあったため、再度回答についての確認をするためにえびの署を訪問し、副署長H氏に「今日、私が訪問したことは記録に残して貰えますよね?」と確認すると、「記録には残しませんよ。被害届を受け取っていないでしょ?」という回答だった。

 この発言を受けて志水さんは、「ようやくえびの警察署の『被害届を受け取っていないから、訪署記録にも残さない』という“やり方”を理解した」と言います。「11か月もの間、こんなにも悩まされ、苦しめられ、事実無根の様相を漂わされ、2020年2月の訪署に関する証拠集めを余儀なくされ、体調を崩す日々を強いられたのは何だったのか!高齢被害者に対する極まりないえびの警察署の仕打ちで、怒りが抑えきれない」。

苦情2:S警官の発言「木を切った人に残りの木を売ったらどうか」は不適切
えびの署の回答:『被害者救済として、このような方法もある』とS警官は述懐している。

 被害を受けて落胆している被害者にとっては「心の折れる」驚愕の発言でした。合わせて志水さんは、警察官は被害捜査をすべきであり、民事に介入する必要はなく、不適切な発言だったと考えています。

苦情3:容疑者Iは盗伐後にニンニク畑として使用していたことは不動産侵奪罪。なぜ逮捕されないのか?
えびの署の回答:犯人による証拠隠滅の恐れや逃走する可能性がないため逮捕する要件がない。

 志水さん所有の山林が盗伐された跡地がニンニク畑として使用されたことは疑う余地もありません。それにも関わらず「逮捕する要件がない」との認識は理解に苦しむところです。志水さんによると、えびの市婦人部の集まりにおいても、容疑者Iは「他人の木を盗んだり、山を転売している」という話があって悪名高い人物なのです。加えて志水さんの知り合いの土地調査家屋士T氏や、えびの市内の林業者も同様のことを証言しています。

苦情4:えびの署警部(課長)A氏の供述調書作成にかかる強要行為について
えびの署の回答:Aは強要していない。Aの発言は「前日に供述調書を作る」としたもので、「供述調書は今日でないと駄目」とは言っていない。

 志水さんは「前日に供述調書を作る」という発言は聞いていません。これも事実が捻じ曲げられているものです。志水さんが聞いたA氏の発言は「尋ねたいことがある」、「いろいろな書類を作らなければいけない」の2点のみで、「供述調書を作る」とは一言もありませんでした。
 2020年11月5日当日の様子は以下のとおりです。えびの署で警部(課長)A氏とやりとりをしている中で、志水さんは「供述調書は今日でないと駄目です」という発言をA氏より受けた後、その場で携帯電話のショートメールにて宮崎県盗伐被害者の会会長の海老原氏へ相談をしました。ショートメール送信後、すぐに海老原氏から電話があり、A氏にその携帯電話を手渡し、A氏と海老原氏とが直接やりとりをしました。その会話の中で海老原氏は「今日でないと駄目、というのはおかしいのでは?」と問いかけました。大きな声でのやりとりだったゆえ、傍らにいた志水さんにも漏れ聞こえてくるものでした。
 彼らのやりとりが終わり、携帯電話を手元に戻し、海老原氏との会話に戻ると、海老原氏から席を外すよう指示があったため、駐車場まで行って会話を継続しました。そして「すぐに退署したほうがよい」との助言があり、退署する旨をA氏に伝えるべく部屋に戻ると、A氏は「今日でなくても良いですよ」と、手のひらを返したような対応に変わったそうです。
 A氏の対応が急に変わったことに違和感を覚えながらも、志水さんは帰ろうとすると、A氏から「出来上がった供述調書を読み上げますけど聞きますか?」と問われたそうです。一連の対応、および態度の急変など、とてもA氏を信用できる状態になく、且つ調書の内容についても5~6分程度で出来上がるものを信用できるはずもなく、その申し出は断り、帰宅したのでした。

苦情5:不条理な時効について
えびの署の回答:伐採したS社の日報、領収書、供述などの捜査をした結果、伐採は2017年2月下旬に始まり2017年3月28日に終了している。森林法時効は3年ゆえ、このことにより2020年3月28日に時効が成立している。

 志水さんはこの不条理な時効について到底受け入れられません。盗伐を発見したのが2020年1月29日。2020年2月6日にえびの市役所による現場検証が行われ、同じ2月にえびの警察署を被害の訴えのために訪問しました。盗伐被害地一体の土地(1195-9(畑)、1195-21(原野)、1216-1(畑))を所有権がM氏から容疑者Iに移転したのは2017年3月23日であり、2017年2月下旬~3月23日の期間は容疑者Iが合法的に伐採できる術はなく、えびの署の理屈でも、容疑者Iは他人の山を盗伐したことになります。
 また容疑者Iに所有権が移転した2017年3月23日の同日付で伐採届がえびの市役所に提出されていることも変な話であり、さらにその伐採届には「届出提出後、30日以後に伐採する」よう記載されています。加えて容疑者Iが購入した土地は「畑」と「原野」であったにも関わらず、提出された伐採届には樹種や本数まで記載されているのです。

 これらを考慮すると、隣接する志水さん所有のヒノキ山(ヒノキ200本)を盗伐するためのM氏との土地売買契約、伐採届であったとしか考えられません。

元の土地所有者M氏も何か関与?
 実は、志水さんの林地は、元々は志水さんの父親(故人)がM氏から購入したものでした。それゆえM氏は志水さんの林地の盗伐に関して何か情報を持っているのではないか?と思い、盗伐を発見してから間もなくM氏にコンタクトしたのでした。M氏宅に訪問し、何度も電話をかけ、留守番電話に「盗伐された件に関してお話をお聞きしたい」旨のメッセージを残したものの、何の連絡もありませんでした。
 他方、前回で触れたとおり、えびの警察署はM氏にコンタクトでき、Iに土地を売ったことを確認しています。志水さんとは話ができない何かあるのか?憶測は膨らむばかりです。

 これまで本ブログで紹介してきた盗伐被害の中で、伐採後にニンニク畑として使用していた事例はありませんでした。「盗伐=伐り逃げ」といったイメージがありましたが、本事例から、如何に盗伐犯が堂々と振舞っているかがわかるかと思います。

 志水さんの闘いはまだまだ終わりません。次回、志水さんと宮崎地検とのやりとりを紹介します。(三柴 淳一)

第一回 宮崎市瓜生野ツブロケ谷(その1)
第一回 宮崎市瓜生野ツブロケ谷(その2)
第二回 宮崎市高岡町花見字山口(その1)
第二回 宮崎市高岡町花見字山口(その2)
第三回 宮崎市大字吉野字深坪(その1)
第三回 宮崎市大字吉野字深坪(その2)
第三回 宮崎市大字吉野字深坪(その3)
第四回 宮崎市田野町字荷物取地乙
第五回 国富町大字木脇(その1)
第五回 国富町大字木脇(その2)
第五回 国富町大字木脇(その3)
第五回 国富町大字木脇(その4)
第六回  えびの市大字西長江浦(その1)
第六回  えびの市大字西長江浦(その2)
第六回  えびの市大字西長江浦(その3)

日本にもあった違法伐採!! 波紋拡がる宮崎県の盗伐事件(14)

第六回 えびの市大字西長江浦(その2)

 林野庁は2021年3月30日の宮崎県盗伐被害者の会からの要請を受け、5月中旬に盗伐被害地視察を予定していましたが、緊急事態宣言の延長を受け、延期となりました。

 今回は、前回に引き続き、志水惠子さんの事件を紹介します。
 ※今回も被害当事者の志水惠子さんのご了承を得て、実名で記述しております。

宮崎県盗伐被害者の会を伴い再び現場検証
 残念な結果に終わった2020(R2)年4月27日のえびの警察署による被害地の現場検証。志水さんはこれに納得できず、宮崎県盗伐被害者の会の海老原会長に相談し、現場を見てもらうことになりました。5月5日、志水さん、ご友人ご夫妻、そして海老原会長とで再び現場検証を実施。この検証で海老原会長によって志水さんの林地の境界杭が確認されたのでした。多くの被害地を見てきた海老原会長は「志水さんの山は境界が公有地(日本道路公団、宮崎県、えびの市)に隣接しているため、被害者の中でも一番わかりやすい」。

えびの市役所との折衝、広範な「無届伐採」が判明
 5月8日に申請した情報開示請求の結果が5月18日に得られました。入手できたのは「公文書非公開決定通知書」で「公文書不存在」との記載のみでした。3筆(1195-1、1195-20、1216-2)とも同じ結果でした。いわゆる「無届伐採」であることが判明しました。
 志水さんらは、本件についてはすでに「無届伐採」であることが判明し、容疑者も明らかであり、市の責任が問われる問題であることや、海老原会長の被害事件「ツブロケ谷」のときのように宮崎市から刑事告発すべき案件なのではないか、伐採業者名を明らかにしてくれ、といった対応を求めました。しかしそれでも煮え切らない態度に対して、「市の責任を問うべく、志水さんからえびの市を訴えてもよい」と被害者側の強い意志を示すと、S氏が10分ほど席を外し、「立木所有者」と「造林者」の欄が黒塗りされた、伐採業者名のみわかる「伐採届」を持ってきました。黒塗りの理由は「伐採業者名を教えてくれとの依頼でしたゆえ」。その伐採届の写しを入手すべく、5月27日、再びえびの市役所を訪れ、二度目の情報開示請求を行いました。
 またこの新たな情報を逐一伝えるべく、5月28日、志水さん、海老原会長とでえびの警察署を訪問しました。対応者は前回同様、警部補M氏と現場検証で「伐った人に残りの木を売ったらどうですか?」と三度打診してきたS氏。この訪問は盗伐被害者の会としては初訪問だったゆえ、挨拶代わりでもありました。

 6月4日、志水さんの手元に「公文書一部公開決定通知書」が届きました(図1)。図2には志水さんの被害林地周辺の概略図を示します。開示された伐採届は2017(H29)年2月15日付けで申請され、3月23日付のえびの市農林整備課印が押されたものでした。これから幾つか重要なことが明らかになりました。(1)地番1195-21を伐採した業者名、(2)志水さんの林地3筆に隣接するその他の地番(1216-1、1195-9)の伐採届が出されていない、つまり「無届伐採」であること、そして(3)伐採期間です。
 まず(1)からこの伐採届が容疑者Iに関連していることがわかります。立木所有者欄は黒塗りですが、志水さんが入手している字図や土地登記簿から地番1195-21の所有者はIで、Mから2017(H29)年3月23日に購入したものであることは確認できています。(2)はIがMから購入した3筆のうち2筆が無届伐採だったことを意味し、志水さんの3筆を加えれば5筆の林地が無届伐採でした。1筆のみ伐採届を出して「合法化」し、広範に盗伐する行為の典型です。(3)は2017(H29)年3月30日~12月20日と記載されていました。志水さんが気付いたのは2020(R2)年1月29日でしたので、森林窃盗(盗伐)罪の時効3年の関係で実際に伐採されたのがいつだったのかがとても重要になります。

土地家屋調査士から有益な情報
 志水さんとT氏は商工会の会員で顔見知りでしたので、すぐに足を運ぶことにしました。志水さんが「市役所から言われたので」と切り出すと、T氏は繰り返し何度も「Iは悪いことばかりやっているのであいつは逮捕してもらわなければならない」、「木があっちこっちで伐られている。志水さんのすぐ近くのすごく大きな山も伐られている。その山主も相当怒っている」という情報を得ました。
 6月25日、今度はえびの警察署警部補M氏より電話がありました。M氏は「山を売ったMに話を聞きに行き、『何十年も山には行っておらず、境界が分からず、山には行かずIに売った』とのことゆえ、境界が分からない以上、事件として成り立たない」との見解でした。志水さんが「時効は2020年12月20日までですか」と問うと「時効は警察では調べようがない、分からない」。「伐採業者S社を調べれば分かりませんか?」と質問すると「S社はまだ調べていない」との回答でした。

警察の執拗な確認行為
 この頃からえびの警察署は志水さんに対して執拗に質問を繰り返すようになりました。それまで窓口になっていたのは警部補M氏とS氏でしたが、2020年8月から警部(課長)A氏から志水さんに連絡がくるようになりました。A氏は何やら2017年2月と4月に強いこだわりを示していました。なぜえびの警察署は急に動き出したのか、なぜ2017年2月と4月にこだわるのか、A氏から明確な説明もなく、その真意ははかりかねますが、森林窃盗(盗伐)罪の時効期限と関連があるであろうことは容易に推測されるところです。
 本来であれば法に基づき捜査権が与えられている警察が入手すべきと考えられる情報について、その情報を知りようもない被害者の志水さんに一度ならず何度も問う行為は、被害当事者からすれば「嫌がらせ」でしかありません。実際、警察からの執拗な問い合わせや、呼び出しを受け、警察の行為は「志水さんを犯人扱い」しているように感じました。これによって志水さんは心身のバランスを崩し、体調不良に見舞われました。

 ここで簡単に整理しておきます。志水さんが盗伐被害に気付いたのは2020年1月29日。えびの警察署にはじめて相談に行ったのは2020年2月のことで6日から14日の間に1回、その後2月中にもう1回、計2回訪問しています。そして3回目の訪問が4月21日。容疑者Iが1筆だけ「合法化」した伐採届が受理されたのは2017(H29)年3月23日で、記載されていた伐採時期は2017(H29)年3月30日~12月20日。伐採届が正式に受理された日付から法的に伐採が認められるとすれば、その日付から3年後の2020年3月23日までが森林窃盗(盗伐)罪の時効期限と考えられます。
 現在えびの警察署は、志水さんの初回の訪問、つまりS氏が対応し、志水さんをほぼ門前払い扱いをした2020年2月中の2回の訪問のことを完全に無視し、3回目の訪問で警部補M氏とS氏の両名が対応した2020年4月21日を「志水さんが初めて警察に相談にきた日」という事実無根の主張を繰り返し、志水さんにそれを認めるよう強要しています。これについては次回、詳細について説明します。

打開策として告訴状を送付
 体調の優れないなかでも、志水さんの盗伐被害事件解明に向けた確固たる信念は揺らぎませんでした。事態の打開策の一つとして被害者の会の海老原会長の支援を得ながら8月24日、告訴状を作成し、宮崎地検検事正、宮崎地裁所長判事、宮崎県警本部長、えびの市長、宮崎日日新聞本社に宛て送付しました。その「告訴状」は「告発状」に修正されて9月14日に正式にえびの警察署に受理されたのですが、紆余曲折あったその経緯を説明します。
 告訴状送付の翌8月25日、宮崎地検M氏から告訴状受領の電話がありました。「えびの警察署に捜査をして貰えていますか?」と問われ、志水さんは「被害当初は捜査してもらえなかったが、最近は電話連絡がくるようになりました」と回答しました。
 8月27日にはえびの警察署警部(課長)A氏から連絡があったため、同署へ出向いて宮崎地検検事正、宮崎地裁所長判事、宮崎県警本部長、えびの市長宛てに告訴状を送付したことを伝えました。その足でえびの市役所農林整備課主任主事S氏も訪ね、同様の報告をしました。
 8月29日、再び、えびの警察署警部(課長)A氏より来署依頼があり、「提出されたのは“告訴状”だが、地権者は志水さんの母親であり地権者本人でないと“告訴”はできず、娘の惠子さんによるものであれば“告発状”であるべき」という説明を受けました。そこでA氏の指示に従い、「告訴状」を「告発状」に修正し、再びA氏に提出すると「新たな“告発状”の内容を再度検討し、受理の可否については追って返事する」との対応でした。これを受け9月2日、志水さんは念のために「告発状」を再び宮崎地検検事正、宮崎地裁所長判事、宮崎県警本部長、宮崎日日新聞本社に宛てて送付。さらに各所を訪問し「告発状」としての再送付したことを伝え、適切に受理してもらえるよう依頼をしました。その結果、えびの警察署A氏から「告発状を受理させて貰います」との電話連絡を受けました。このことは宮崎地検M氏にも報告しました。
 9月4日、その日体調を崩していた志水さんに、えびの警察署から電話があり「ご自宅にお伺いしてもよいですか?」。えびの警察署警部(課長)A氏、F氏が志水さん宅を訪れ、“告発状”は受理、“告訴状”は不受理とする旨、説明を受け告訴状が返却されました。その後9月14日、告発状に不備があったため、えびの警察署へ出向き、その修正後、差し替えたものが受理されたのでした。

 志水さんは「しばらく続いたえびの警察署の執拗な確認行為は9月4日を境に“ピタッと”止まり、態度も急変した」と精神的に厳しかったこの時期を振り返ります。

 告発状が受理され、ようやくえびの警察署が本格的に動き出しました。9月28日、えびの警察署警部(課長)A氏より実況見分実施の知らせがあったのです。次回は実況見分の様子とそれ以降も続く志水さんにとって不本意なえびの警察署のとのやりとりを紹介します。(三柴淳一)

第一回 宮崎市瓜生野ツブロケ谷(その1)
第一回 宮崎市瓜生野ツブロケ谷(その2)
第二回 宮崎市高岡町花見字山口(その1)
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第三回 宮崎市大字吉野字深坪(その1)
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第四回 宮崎市田野町字荷物取地乙
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第六回  えびの市大字西長江浦(その1)
第六回  えびの市大字西長江浦(その2)