チェルノブイリ原発事故から30年。私たちが学ぶもの。

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1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故から今日で丁度30年。FoE Japanは、東京で講演会を行いました。(NHKにも報道されました

講演会にはチェルノブイリ被害調査・救援女性ネットワークの吉田由布子さん、小児科医でチェルノブイリ子ども基金顧問の黒部信一さん、そして写真家で、311甲状腺がん家族の会副代表世話人の飛田晋秀さんにお越し頂き、 被害解明と救済の道筋を見つめるというテーマで、お話を頂きました。

(資料は後日ウェブサイトに掲載予定です)

吉田さんからは、チェルノブイリ事故後甲状腺がん等その他の病気が多発していても、事故との関係性は認められず、10年たってようやく甲状腺がんは認められた経緯等をお話しされました。また、現在においても甲状腺がんに注目されがちですが、その他の癌以外の疾病の増加なども調べるべきという指摘もありました。

黒部さんは長年「チェルノブイリ子ども基金」のメンバーとして、チェルノブイリ事故の被害を受けた地域の人々への支援を続けてきました。黒部さんは保養(低線量の地域ですごすこと)の大切さや、子どもたちに希望を与えることの大事さを語られ、また、社会科学的にみて貧困層などが綺麗な食べ物や土地にアクセスする事が出来ず、癌などの疾病が多いのだということを指摘されました。

写真家の飛田さんは、福島の現状を見て復興だなんてとんでもない、まだ何も始まってすらいないと悲しい怒りがこみ上げて来たと話します。また、甲状腺がんを患った家族がいる家庭では、癌の話がとてもしにくく、社会から孤立している現状に手を差し伸ばすために、甲状腺がん家族の会を立ち上げられました。

また、私深草からも昨年行ったベラルーシ視察の報告を簡単に行いました。

先日のJapan Timesの記事によると、ベラルーシの牛乳からベラルーシの基準値の10倍の放射能汚染が検出されたそうです。30年経った今でも、事故後の汚染が続いています。

ベラルーシは元々自然が豊かで、多くの人がダーチャとよばれる家庭菜園で採れる食べ物を食卓に並べています。キノコやベリーは人々が好んで食べる食品の一種。そういった物に放射能はたまりやすく、ベラルーシの方の内部被曝が心配されます。

一方、ベラルーシのルカシェンコ大統領は先日のUNDP(国連開発計画)の高官とのインタビューで「30年前には土地を一生失ってしまったと感じていたが、今はそうではない」と答え、復興を強調しています。

実際にはどうかというと、私たちが昨年ベラルーシを訪れて見聞きした状態とはかなり違うと思います。病気の多発が報告され、貧しい人々がより癌やその他の健康リスクにさらされているという現状があります。

ベラルーシの政治は、独裁的で、市民の活動が大幅に制限されているという実情があります。
私が昨年ベラルーシで出会った学生も、「ベラルーシで原発建設が進んでおり、反対しているが、デモ等をしたら学校に行けなくなる。就職できなくなる」と話していました。

イベントのアンケートでは、ベラルーシの状況が今の日本の状況と重なるという声も沢山聞かれました。

福島第一原発事故から、5年。早くも自主避難者への支援などは打ち切られようとしています。
様々な問題が山積しているにもかかわらず、人々の関心も時が立つにつれ、薄れていっています。

だからこそ、声を上げ続けていく必要がある、様々な形で事故の事を伝えていく必要があると感じています。(スタッフ 深草)

参考
Despite Chernobyl, Belarus goes nuclear

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311シンポジウム 福島を忘れない(その②)

こんにちは、スタッフの深草です。前回につづき、3月11日のシンポジウムのレポートをお届けします。

第二部はチェルノブイリがテーマでした。1986年に起きたチェルノブイリ原発事故。当時旧ソ連、現在はウクライナに位置するチェルノブイリでおきた事故で周辺のみならずヨーロッパの国々が広く汚染されました。

2部の最初に、チェルノブイリ子ども基金の佐々木真理さんから発表がありました。

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チェルノブイリ子ども基金は、フォトジャーナリストの広河隆一氏がチェルノブイリ取材の中で病気の子どもをもつ母親たちの呼びかけを受け募金活動を始めたのがきっかけで、1991年4月に設立されました。
佐々木さんからは、被災地の子どもたちは現在も甲状腺ガン・白血病・脳腫瘍などの病気にくるしんでいることや、実際にチェルノブイリ子ども基金がおこなっている支援の様子や現状を語っていただきました。

 

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吉田由布子さんからは、チェルノブイリ事故後できた「チェルノブイリ法」について紹介があり、日本との状況の比較等についても話されました。チェルノブイリ法には汚染地や被災者の定義が含まれています。土壌の汚染の度合いや、その人の立場(原発労働者なのか汚染地域出身の人なのか)により支援なども決められていました。日本は、内閣府原子力被災者支援チームがチェルノブイリ事故後の旧ソ連3カ国のさまざまな対策を調べ、参考にすべき点をあげていたそうです。ですが、それらは日本の政策に生かされていません。吉田さんからは、チェルノブイリ法において国の責任として規定されている「原発事故後の市民の社会
的保護」の考え方に学び、福島原発事故により様々なリスクの増加を被っている市民(住民及び労働者)への国・東電の責任や施策について、再び問い直す時期に来ているのではないでしょうか、と提起がありました。

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私、深草からは昨年訪れたベラルーシで見た事、感じた事を報告しました。
チェルノブイリ原発は、現在のウクライナ領の中にあるので、ウクライナが注目されがちですが、事故当時放出された放射性物質の約7割が現在のベラルーシ側に降り注いだと言われています。
ベラルーシでは、同じ大統領が独立当時から5期連続で地位に居座っている事、言論の自由が限られているなど、そういった政治的な状況から市民活動が抑圧されている現実を目にしました。
ですが、その中でも子どもたちを守ろうとする大人の活動や、若い世代がチェルノブイリの事や再生可能エネルギーの事等を学び未来を作っていこうとする姿にもふれました。
ベラルーシ視察の詳細な内容はブックレットにまとめています→「ベラルーシ報告書 みらいへのかけはし」

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最後にFoEドイツ(BUND)の代表である、フーベルト・ヴァイガー氏からドイツがどのように脱原発を達成したのか、チェルノブイリ原発事故がドイツに与えた影響などの報告があり、また脱原発にむけて国際連携の大切さについて触れていました。

次に続く。