日本にもあった違法伐採!! 波紋拡がる宮崎県の盗伐事件(7)

第三回 宮崎市大字吉野字深坪(その3)

2020年1月27日、宮崎県の盗伐問題に関して3件目となる裁判の判決が出ました。森林法違反(森林窃盗)の罪に問われた伐採業者「黒木林産」社長の黒木達也被告に、懲役1年、執行猶予4年の有罪判決(求刑懲役1年6か月)が言い渡されました。弁護側は「伐採は故意ではなかった」と無罪主張していましたが、今澤俊樹裁判官は「主張は不自然不合理で故意があったと認められる」と述べたそうです。なお黒木達也被告は即日控訴しました*1
また4件目となる宮崎市加江田の山林で所有者に無断でスギを業者に伐採させ盗んだとして、森林法違反(森林窃盗)などの罪に問われている林業仲介業の富永悟被告の判決公判が、2020年3月4日宮崎地裁(下山洋司裁判官)で開かれ、懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役3年6か月)が言い渡されました。下山洋司裁判官は「狡猾で手慣れた犯行で常習性もうかがわれる。立木取引に対する社会的な信用を害した程度は大きく、犯行結果は重大」と指摘。一方「事実を認め、山林所有者に損害弁償の申し出をしている」などと量刑理由を述べたそうです*2

今回は宮崎県盗伐被害者の会会員の矢野育教さんの事件を紹介します。矢野さんの被害林地は、前回、前々回で紹介した川越員さんの被害林地の隣で、同じ事件の被害者です。
※今回も被害当事者の川越員さん、矢野育教さんのご了承を得て、実名で記述しております。

被害林地概要
矢野育教さんの被害林地は宮崎市大字吉野字深坪135、136番地です。この林地は矢野さんご自身で植林をされ、植林後15年くらいは下刈り、間伐の手間をかけてきたそうです。林地面積は1反(約0.1ha)で林齢は約50年。
そして矢野さんは被害に遭う半年くらい前に、この林地の立木売買契約について照葉林業に相談をしており、その際に隣接地との境界に白いテープを巻いていました。つまり所有者のみならず、外部者からも境界は明確であったと考えられ、ましてや伐採業者のK林業が気付かなかったはずがない状態だったと矢野さんは言います。

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図 盗伐被害地の様子
注:Y氏名義の伐採届には128-1, 129, 141(Y氏所有地), 130-1(川越員さん所有)が記載されていた

2014(H26)年11月~12月に被害に遭った矢野さんの林地は、現在、降雨などの影響もあり陥没してしまいました。昔はすり鉢状のきれいな林地だったそうですが、大型重機による乱暴な伐採施業の跡ゆえ、「元のまともな状態には戻らないだろう。竹も侵入してしまっているため、自分で再び植えるということもできない」と矢野さんは無念さを噛みしめます。

友人の知らせで盗伐被害を認識
矢野さんが盗伐被害を知ったのは、友人が自宅を訪れたときでした。「お前は木を売ったのか?お前の林地、えらい明るいぞ」。それを聞き、すぐに林地を見に行ってみるともう一本もなかったそうです。林地の近隣の人に聞いてみると「数日前にはまだ何本か残っていたよ」。川越員さん同様、矢野さんも伐採後間もなく盗伐被害に気付いたのでした。

2014(H26)年11月、川越員さんご夫妻が岩村、松本らと伐採現場にて対峙した際、矢野さんもその場にいました。矢野さんは岩村・松本に対して「I氏と話をした際、私の名前は出なかったのか?私の林地がここにあることをなぜ認識できなかったのか?」と質問したところ、岩村・松本はI氏から「西のほうのこのくらいがうちの山だろう」という説明を受けたのみで矢野さんの林地のことは「わからなかった」。矢野さんによれば、矢野さんの林地とI氏の林地との真ん中に旗が立っていたのですが、I氏はそもそも林地の境界を全然把握していなかったため、「その旗の西側がこっち(I氏の林地)だろう」とあいまいな感じで岩村・松本に伝えたのであろうと推測しています。
一方、川越員さんによれば、員さんはK林業(児玉林業)に名前入りの地籍図を渡しているので、「伐採時にK林業がわからないはずはない」と言っています。さらに伐採時にK林業が、矢野さんの林地の境界に巻いてあった白テープに気付かないはずがありません。明らかな故意の盗伐行為だったと考えられます。

難航した情報開示請求
矢野さんの被害林地の伐採届出書等に関する情報開示請求に関しても、結果の通知書が手元に届くまで長い道のりでした。2017(H29)年夏に、矢野さんが所定の手続きにより開示請求を宮崎市に提出しました。しかし待てど暮らせど通知書が届かないため、市役所に何度も電話や直接足を運んで確認をしたのですが、宮崎市や市民情報センターは「発送した」と回答するのみでした。結局、請求から約1年が経過した2018(H30)年7月19日、ようやく個人情報不開示決定通知書が届いたのでした。不開示の理由は「開示請求のあった矢野育教に係る宮崎市大字吉野深坪135、136の伐採及び伐採後の造林の届出の事実がないため」、いわゆる無届伐採でした。

まとめ
矢野さんは2014(H16)年11月頃に無届による盗伐の被害に遭いました。この盗伐には少なくとも岩村・松本ら仲介業者とK林業が関与していることは判明しており、有印私文書偽造や無届伐採であったことも確認されています。しかし森林法違反(森林窃盗)の時効は3年ゆえ、今となっては現行法体制において、彼らの刑事罰を追求することが困難な状態です。
被害に遭った林地は、植林から下刈り、間伐などの手入れ期間を経て50余年が経ち、ようやく収穫期を迎えていました。それが白昼堂々、林地丸ごと窃盗被害に遭い、上物の立木のみならず林地内を大型重機でめちゃくちゃにされ、警察に被害届を出したにも関わらず、ほぼ門前払いを食らい、挙句の果てに関与した伐採業者は「俺が盗伐した」と被害者に対して公言すらしている始末。被害者の矢野さんでなくても納得いく話ではありません。
盗伐被害者の会会長の海老原さんは「行政側は時効を待っているのではないか」とも考えています。「たとえ被害者が相談に来ても時間稼ぎのために門前払いによって対応を拒否し、社会的弱者の部類に入る高齢者に対しても特別な配慮はしないことを徹底。普通なら“かわいそう”、“ 気の毒”といった感情を期待したいところながら、それらは県、市、警察の対応に微塵も感じられない」と語気を強めます。

本稿の冒頭で触れましたが、有罪判決まで到達した4件は極めて稀な事例で、それ以外に捜査の手が及んでいない無数の盗伐事例があります。被害者の方々は行政、警察、検察などの公的機関からぞんざいな対応を受け、ほとんどの被害者は泣き寝入りをしてきました。しかし民法724条で不法行為による損害賠償請求の期限は20年とされており、刑事罰は問えないものの、盗伐犯を法的に追及する機会は残されています。現在、宮崎県盗伐被害者の会会員数は103家族。声をあげる被害者は増えています。彼らの声を国政にまで届けられるよう、今後も盗伐事件の全容解明に向けて取り組んでいきます。(三柴淳一)

*1 毎日新聞2020年1月28日, 地域面(宮崎), p21.
*2 宮崎日日新聞2020年3月5日紙面
過去の記事
> 第一回 宮崎市瓜生野ツブロケ谷(その1)
> 第一回 宮崎市瓜生野ツブロケ谷(その2)
> 第二回 宮崎市高岡町花見字山口(その1)
> 第二回 宮崎市高岡町花見字山口(その2)
> 第三回 宮崎市大字吉野字深坪(その1)
> 第三回 宮崎市大字吉野字深坪(その2)
> 第三回 宮崎市大字吉野字深坪(その3)

「自然を元に戻してほしい」横須賀の漁業者を取材して

1月21日、横須賀石炭火力訴訟の原告団長と弁護士とともに、裁判への意見陳述の準備のため、横須賀で漁業を営む方を訪問しました。

その漁師さんは視突漁(箱メガネで海の中を覗きながら、銛や網を用いて魚介を獲る漁法)を営んでおり、今回、その漁場の一部を案内くださいました。

船で漁場に向かい、海底を箱メガネで覗いたところ、海底の砂がよく見え、ところどころにウニが見られるような状況。

海底の皆で交互に見ている中、「何も見えないでしょ?」と漁師さん。

彼の言葉に戸惑う私達に、漁師の方はこう続けました。

「昔は、この時期になるとカジメやアラメとか、海藻の芽がこの辺り一帯に芽吹いていたんです。でも、10年くらい前から少なくなって、この2年で激減。今年なんか、このように、もう100%なくなってしまった。」

アラメやカジメなどの海藻の芽吹いていた時は、岩場が真っ黒になっていたそうです。しかし、現在は、海藻のようなものは一切見当たらず、岩肌が見え、ウニしか生息しないような状態に。地上で例えると、土地が砂漠化し、木が生えてこなくなってしまう状態と一緒だとおっしゃっていました。つまり、東京湾では既に、”海の干ばつ”が起きているともいえます。

海藻がなくなることは、貝や魚の住む所が失われることと同じです。

また、そのような環境で生息しているウニにとっても十分な食糧が無いため身は無く、商品にできないとのこと。ウニもギリギリで生きているので、海藻の種を植えても、ウニに食べられてしまうそうです。

天気の変化においても、この地域では今まで冬になると西風が吹き、それによって岩場が洗われ、海藻が芽吹く土壌が形成されるとのこと。しかし、風が吹かず、そのサイクルがなくなってしまったのではと漁師さんは言います。

「海が死んでいる」

漁師さんはそうおっしゃっていました。

東京に住んでいると、気候変動や環境汚染の影響は分かりにくいと思います。

しかし、自然を相手にする漁師さん。天候や海の状況、すべてが昔と同じ感覚では考えられないとのこと。

このような変化の原因が気候変動によるものかはまだ解明されていません。しかし、海の環境が年々悪化しており、そのせいで、江戸時代から受け継がれてきた方法で海藻をとり、生活をしてきた漁師さんの生きる術が失われつつあることは確かです。

「自然を元に戻してほしい」

それが彼の願いでした。

横須賀石炭火力新設を問う行政訴訟は2019年5月に提訴。2019年10月2日2019年12月23日と裁判が行われました。

次回期日は3月23日(月)14:00~、場所は東京地方裁判所(東京・霞ヶ関)です。裁判後、同裁判の報告会を会場近くの日比谷図書館にて開催します。

法廷に入廷できなかった場合も、裁判の様子はこちらの会にて裁判の報告をさせていただきますので、ぜひご参加ください。

報告会の申込みは、下記webサイトに掲載の予定です。
https://yokosukaclimatecase.jp/

FoE Japanは、引き続き、原告および訴訟サポーターのみなさまとともに、石炭火力の新設計画中止を求めて活動してまいります。

   (鷹啄りな・高橋英恵)

   

日本にもあった違法伐採!! 波紋拡がる宮崎県の盗伐事件(6)

第三回 宮崎市大字吉野字深坪(その2)

 本稿で紹介している宮崎県内で蔓延する違法伐採(盗伐)問題に関連して、司法の判断が下されたのは、前回、今回と紹介している宮崎県盗伐被害者の会会員の川越員(かず)さんの事件や、同会会長の海老原さんの事件に関与した林業仲介業の岩村進、松本喜代美が2018(H30)3月20日に有罪判決を受けたのが初めてのケースと考えられますが、2020年1月15日、ついに2件目の司法判断が下されました。
 宮崎地裁(下山洋司裁判官)は、宮崎市で発生した森林窃盗事件で犯行を手助けしたなどとして、森林法違反(森林窃盗)ほう助と有印私文書偽造の罪に問われた鈴木英明被告に懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)の判決を言い渡しました*1
 一方、鈴木英明が手助けをしたとされる林業仲介業の富永悟被告は、偽造された伐採届書などを使い宮崎市の山林で所有者に無断でスギを伐採し、森林法違反(森林窃盗)を偽造有印私文書行使の罪で追起訴されていますが、2020年1月8日に宮崎地裁(下山洋司裁判官)で開かれたの公判において、その追起訴内容を認めました*2
 なお、その3件目になるであろう、「黒木林産」社長の黒木達也被告判決は2020年1月27日に出る予定です。

 今回も、宮崎県盗伐被害者の会会員の川越員(かず)さん、威尚(たけよし)さんの事件について、員さんが宮崎県盗伐被害者の会会長の海老原さんと行動を共にするようになってからの展開を紹介します。
※なお、被害当事者の川越員さんの了承を得て、実名で記述しております。

はじめに
 前回の最後に触れた2015(H27)6月5日、員さんが宮崎北警察署に2度目の訪問をしてから時計の針を進め、2016(H28)年10月21日に員さんが海老原さんや他の被害者の会会員とともに訪問したところから始めます。 なお、第一回で紹介した宮崎市瓜生野字ツブロケ谷の盗伐事件において、海老原さんが被害を受け、その被害に気付き、行動を起こしたのが2016(H28)年8月のことです。その直後に、員さんは海老原さんと出会い、行動を共にするようになったそうです。宮崎市瓜生野字ツブロケ谷の盗伐事件の犯人として、岩村・松本は有罪判決を受けましたが、員さんの事件も岩村・松本が関与しているものゆえ、第一回の事件の流れを振り返りながら説明していきます(表1)。

表1 2016年8月~2018年7月までの海老原明美さんの事件などに関連した動き
※宮崎県盗伐被害者の会会長海老原裕美氏からの聞き取りなどに基づきFoE Japanが作成

宮崎県盗伐被害者の会会員として再び警察へ
 2016(H28)年10月21日、員さんが宮崎北警察署を訪れた際、応対したのはH巡査部長でした。員さんはH巡査部長に被害届を提出しましたが、受理されませんでした。その後も員さんは海老原さんとともに同署へ被害届を提出しようと幾度か訪問しましたが、次の担当となったK警部補も員さんの被害届を受理することはありませんでした。
 ただし、幾度か訪問を重ねる中で、担当のK警部補の発言には興味深いものがありました。K警部補は海老原さん、員さん、他の被害者4名が同席する場で「(宮崎)県が悪い。海老原さんは頭がいいから誰のことかわかるでしょう」と発言したことがあったそうです。またその際K警部補から「海老原さんの案件と合わせて員さんの件も対応する」と明言したそうです。さらに訪問後の帰路においてK警部補から海老原さんに電話があり「海老原さんと員さんと平行して進める」と念押しをしたそうです。
 事実、宮崎県警はその後捜査に踏み切り、2017(H29)年7月19日に岩村・松本らの家宅捜査を実施し、10月5日、岩村・松本を逮捕しました。このタイミングで宮崎県警はK警部補が言ったとおり、員さんの事件についても一定レベルの捜査をしたのではないかと考えられます。
 しかしながら、この頃、員さん自身に宮崎県警が捜査に乗り出したことについて知らされるはずもなく、このことは後になってわかったことです。

犯人と思われる事業者が員さん宅周辺でお詫び行脚
 その後、再び時計の針は2018(H30)年7月5日まで進みます。この日、員さん宅は留守にしていて、近隣の方から「K林業が(その近隣の方のところにも)きて「(員さんのところにも)また来る」と言って帰った」との知らせを受けたのでした。翌7月6日、員さんは宮崎北警察署生活安全課に問い合わせの電話を入れると、応対したK巡査長は「K林業は吉野地区をまわり、お詫びをしている」との説明を受けました。この電話のやりとりにおいてK巡査長は「もし(K林業が)金といったらどうしますか?」と員さんに質問したのでした。員さんは「いらない」と返答。示談をさせられると思ったそうです。「金ではなくて泥棒を捕まえてください」と回答し、さらには「なぜ泥棒なのに捕まえないのですか?」とも問いかけました。そして「『(K林業に)もう自宅に来ないでくれ』と伝えてください」として電話を切ったそうです。

宮崎北警察署の警官、「示談金」の話を認める
 2018(H30)年7月18日、員さんは海老原さんらと共にあらためてK巡査長が言葉にした「示談金」の話について説明を求めるべく、宮崎北警察署へ行きました。署で応対したK巡査長は当初「金とは言っていない」と否定し、員さんらに「何時何分でしたか?」と聞き返してきました。員さんはその電話のやりとりをメモに残していたため、ほぼ正確に「お昼前でしたので12時5分前くらいです」と回答したところ、K巡査長は渋々自身の発言を認めたそうです。

 なぜ、このタイミングで犯人と思われるK林業がわざわざ員さんたちに再び接触をしたのか。表1を見ると、2018(H30)年3月に岩村・松本の有罪判決が出ていたり、4月には田村貴昭衆議院議員が国会・衆議院農林水産委員会で盗伐問題に関して2回目の質問をしています。この国会質問において林野庁は2018(H30)年1月に実施した調査結果に基づき、無断伐採が故意に行われた疑いのある事案が11件あることを報告しました。この質問の中で田村議員からは「行政絡みで(盗伐が)黙認されているのではないかとの疑念がある」との発言や、また田村議員の質問を受けた農林水産大臣からは「警察の対応を確認したい」旨の発言がありました*3
 こうしたことがきっかけとなり『宮崎県下の行政機関周辺からK林業へ「示談にしておくように」との指示が出たのではないか』という憶測は、それほど突拍子もないことではないように思われます。
 「なぜこんなにも警察は嘘つきなのか?」、員さんをはじめ、被害者の会のみなさんは宮崎県の警察に対して大きな不信感を抱いています。

有印私文書偽造を証明する書類を入手
 その後、2018(H30)年7月20日付けで宮崎市から個人情報開示決定通知書が届きました。届いた書類は宮崎市に正式に受理された伐採届と2014年10月14日付けの適合通知書。この伐採届出書は「届出人」が松本喜代美、「伐採後の造林に係る権原を有する者」がY、「伐採業者」がY林業となっていました。この伐採届の「森林の所在場所」の欄にYが所有する他の林地にあわせて、員さんの林地(130-1番地)が記載されています(以下に再掲)。
 なお、2015(H27)年1月16日に実際に員さんの林地を伐採したK林業が員さん宅を訪れ、残していった伐採届(再掲図左)は、宮崎市に正式に受理されていないため、正式な伐採届ではありません。また宮崎市に受理された伐採業者がY林業となっている伐採届について、後日、員さんが宮崎市森林水産課に確認をしたところ、Y林業は宮崎市に「白紙にした」と説明していたことが判明しました。
 これでようやく員さんの林地の伐採が「違法伐採(森林法違反)」であったことが公の資料を根拠として証明されたのでした。

図 偽の伐採及び伐採後の造林届出書(伐採届)
※第三回その1 図2の再掲

警察の調書では「和解」として処理
 再び、時計の針は進んで、2019(H31)年2月12日午後、員さんは、海老原さんやその他の被害者の方々と宮崎北警察署生活安全課に行きました。被害者の会会員の被害案件における「森林法違反」の案件に関して、宮崎北警察署が適正に捜査をしたのか否か、説明を求めに行ったそうです。対応したのはK巡査長らでした。
 その後、訪問のついでとばかりに「有印私文書偽造」を所管する刑事第二課に立ち寄り、員さんの件について問い合わせると、なんと応対したK巡査長から驚きの事実が判明しました。「員さんの件は調書ができている」。員さんらは「その調書を見せてくれ」と依頼し、K巡査長が「(員さん)一人で部屋に入ってくれ」というのを、員さんから「他の被害者も共に聞かせてもらいたい」と要望し、結果、員さん、海老原さんら皆で別室に入り、K巡査長から員さんの調書を読み上げてもらいました。
 その調書には「和解」の語句が記載されていました。員さんは被害を受けて以来、「和解」と表されるような行為や意思表示は一切しておらず、警察に対しても明確に「示談はしない。犯人を逮捕してくれ」との意思表示をしていました。このときまで員さんは「調書」の存在すら知りませんでした。当然、署名も捺印もしていません。被害当事者の知らぬところで、その当事者の同意なき調書ができあがっていたことが判明したのでした。
 さらに驚くことは、別室でK巡査長が読み上げていた最中に、さきほどまで面会をしていた生活安全課のK巡査長が突然部屋に入ってきて、その読み上げ行為を制止し、中止させたのでした。員さんたちは自身の事件に関する調書を最後まで読み上げてもらうことも叶わなかったのです。

 員さんらはこの一連の行為に納得がいかず、2019(H31)年2月26日、宮崎県警本部警務部監察課を訪れ、宮崎北警察署で起こったことや調書における「和解」について、「一体どういうことになっているのか」説明を求めると、応対したIとYの回答は、「宮崎北警察署K巡査長などから聞いているが『(和解というようなことは)言っていない』とのことだった」と、発言すら否定する始末でした。

盗伐被害にとどまらず、深刻な健康被害を受けることに
 川越員さん、威尚さんご夫妻は、盗伐被害を受けて以来、さまざま信じられないような出来事に遭遇しました。さらには信頼していた宮崎県や宮崎市、そして市民の味方と信じて疑わなかった宮崎県警や北警察署から傍若無人な行為を受け、それらを通じて蓄積したストレスは計り知れないものがあります。ついには健康すら害するに至ってしまいました。
 最初に威尚さんの調子が著しく悪化し、医療機関を受診したところ、診断は「ストレス」でした。2017(H29)年5月には手術を受け、ペースメーカーを体内に入れることを余儀なくされました。さらに病状は悪化し、腎臓も悪くして、今では週3回、人工透析に通っています。それまでやっていた米作りなどの農作業は一切できなくなりました。健康にとどまらず、生活の基盤すら損なわれてしまった状態です。
 員さんも2019(H31)年3月、調子が悪くなり医療機関を受診すると「蛸壺神経症(原因はストレス)」と診断され、即日入院をすることになり、20日程度の病院生活を余儀なくされました。そのときはトイレに行く以外は歩いてはいけない状態だったそうです。
 幸い、員さんは回復され、今は海老原さんと共に精力的に活動をされています。

最後に
 個人の所有物、資産である森林・林地を対象とした盗伐は、法治国家として行政機関や司法機関が果たすべき役割を十分に果たさず機能不全に陥った場合、その被害を受けた個人は、所有物の窃盗被害にとどまらず、重大な二次的健康被害や生活基盤を損なうような事態にまで影響することもある、ということを如実に表した事例です。
 市民生活や安全・安心を守るために存在しているのであろう、宮崎県下の行政機関や司法機関は、一体何を守ろうとしているのでしょうか?

今後も被害者視点で、宮崎の盗伐問題について注視していきます。(三柴 淳一)

*1 宮崎日日新聞2020年1月16日社会面
*2 宮崎日日新聞2020年1月9日社会面
*3 第196回国会 農林水産委員会第11号(平成30年4月18日(水曜日))議事録
http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000919620180418011.htm

第一回 宮崎市瓜生野ツブロケ谷(その1)
第一回 宮崎市瓜生野ツブロケ谷(その2)
第二回 宮崎市高岡町花見字山口(その1)
第二回 宮崎市高岡町花見字山口(その2)
第三回 宮崎市大字吉野字深坪(その1)
第三回 宮崎市大字吉野字深坪(その2)

置き去りとなったALPS処理汚染水長期陸上保管の選択肢

東京電力福島第一原発で増え続けるALPS処理汚染水について、経産省のもとに設置された「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」(ALPS小委員会)は、昨年12月23日、「海洋放出」、「水蒸気放出」、そしてその組み合わせという3つの案に絞り込んだ「とりまとめ案」を発表した。しかし、これらはいずれも放射性物質の環境中の拡散を許すものとなっている。大型タンク貯留案やモルタル固化案などの陸上長期保管の代替案は無視されてしまった。

ALPS処理汚染水は、2019年10月段階で約116万m3、タンク数は960基にのぼる。トリチウムの総量でいえば推定856兆ベクレル(注1)。タンクにためられている水のうち約8割で、トリチウム以外の62の放射線核種の告示比総和が1を超えている(告示比総和とは各核種濃度の告示濃度限度に対する割合を足し合わせたもの。排出基準として1未満でなければならない)。ヨウ素129やストロンチウム90などだ。東電は海洋放出する場合は二次処理を行い、基準以下にするとしている。

汚染水に関しては、更田原子力規制委員会委員長が「希釈して海洋放出が現実的な唯一の選択肢」と繰り返し発言。原田前環境大臣も記者会見で「海洋放出しかない」と発言し、大きく報道された。しかし、十分現実的な陸上保管案が提案されているのにもかかわらず、それについてはほとんど検討されていないし、報道もされていない。

実質的な議論がなされなかった大型タンク保管案

陸上保管案については、大型プラントの技術者も参加する民間のシンクタンク「原子力市民委員会」の技術部会が、「大型タンク貯留案」、「モルタル固化案」を提案し、経済産業省に提出している(注2)。

大型タンク貯留案については、ドーム型屋根、水封ベント付きの10万m3の大型タンクを建設する案だ。建設場所としては、7・8号機予定地、土捨場、敷地後背地等から、地元の了解を得て選択することを提案。800m×800mの敷地に20基のタンクを建設し、既存タンク敷地も順次大型に置き換えることで、今後、新たに発生する汚染水約48年分の貯留が可能になる。

2018年8月、ALPS小委員会事務局が実施した公聴会では、漁業関係者も含めた多くの参加者が海洋放出に反対し、「陸上長期保管を行うべき」という意見が表明された。これを受けて山本 一良委員長は、「一つのオプションとして検討する」と約束。

しかし、陸上保管がようやく俎上に上がったのは、一年近くたった2019年8月9日の第13回委員会でのことだった。第13回の会合で東電が大型タンク貯留に関して、「検討したが、デメリットが大きい」という趣旨の説明を行ったのみだ。これに対する質疑や議論は行われていない。

東電がデメリットとして挙げたのは、「敷地利用効率は標準タンクと大差ない」「雨水混入の可能性がある」「破損した場合の漏えい量大」といった点であった。大型タンクは、石油備蓄などに使われており、多くの実績をもつことは周知の事実だ。また、ドーム型を採用すれば、 雨水混入の心配はない。さらに、原子力市民委員会による大型タンクの提案には、防液堤の設置も含まれている。ALPS小委員会は、東電の一方的な説明のみを受け入れるべきではない。

「モルタル固化案」はまったく無視

原子力市民委員会が提案する「モルタル固化案」は、アメリカのサバンナリバー核施設の汚染水処分でも用いられた手法で、汚染水をセメントと砂でモルタル化し、半地下の状態で保管するというもの。

「利点としては、固化することにより、放射性物質の海洋流出リスクを遮断できることです。ただし、セメントや砂を混ぜるため、容積効率は約4分の1となります。それが欠点といえるでしょう。それでも800m×800mの敷地があれば、今後、約18年分の汚染水をモルタル化して保管できます」。同案のとりまとめ作業を行った原子力市民委員会の川井康郎氏(元プラント技術者)はこう説明する。

事務局は、「実績がない」として片付けようとしているが、サバンナリバー核施設での実績をもちだすまでもなく、原発の運転時に発生する低レベル廃棄物についても、その多くがモルタル固化され、トレンチあるいはビット処理を行っている。きわめてシンプルな手法であり、現実的だ。「実績がない」として片付けることは理屈にあわない。

敷地は本当に足りないのか

敷地をめぐる議論も、中途半端なままだ。

東電が示した敷地利用計画は、使用済核燃料や燃料デブリの一時保管施設、資機材保管に加え、モックアップ施設、研究施設など、本当に敷地内に必要なのかよくわからないものも含まれている(注3)。さらに、使用済み核燃料取り出しの計画はつい最近最大5年程度先送りすることが発表されたばかり。デブリの取り出しについても、処分方法も決まっていない。そもそもデブリの取り出し自体を抜本的に見直すべきではないか。

委員からは、「福島第一原発の敷地の利用状況をみると、現在あるタンク容量と同程度のタンクを土捨て場となっている敷地の北側に設置できるのではないか」「敷地が足りないのであれば、福島第一原発の敷地を拡張すればよいのではないか」などといった意見がだされた。

敷地の北側の土捨て場にもし大型タンクを設置することができれば、今後、約48年分の水をためることができると試算されている。

委員から再三にわたり、「土捨て場の土を外に運びだすことができないのか」という質問がなされたが、原子力規制庁は、「外に出す基準について検討が必要」という趣旨のあいまいな回答にとどまっている。

土捨て場にためられている土について、東電は「数Bq/kg~数千Bq/kg」と説明しており(注4)、これが正しければ敷地から動かせないレベルの土ではない。

敷地拡大の可能性については、事務局は「福島第一原発の外側である中間貯蔵施設予定地は、地元への説明を行い、福島復興のために受け入れていただいており、他の用途で使用することは難しい」としている(注5)。もちろん、地元への説明・理解は不可欠であるが、その努力をまったくせずに、「敷地拡大は困難」という結論を出すことは時期尚早だろう。

問題が多い小委員会「取りまとめ案」

 昨年12月に発表されたALPS小委員会の「取りまとめ案」は小委員会の議論を反映したものではなく、事務局や東電の誘導により「海洋放出」、「水蒸気放出」、そしてその組み合わせという結論を導き出したように思える。

 前述の大型タンクをめぐっては、東電の説明をそのままなぞるだけの文面となっている。

土捨て場の土壌の運びだしに関しては、「敷地内土壌が汚染されている実態が明らかになっていないこと、敷地内の土壌の搬出先、保管方法等についての具体化がなされていないこと、敷地内土壌の最終的な処分方法が決まっていないことから、敷地外へ土壌を持ち出すことは困難であるとの結論に至った」など、小委員会で議論されていないことも含めて、決めつけている(注5)。

 にもかかわらず、小委員会の委員が明確な異論を示さない限り、この事務局主導の「取りまとめ案」が委員会の意思として固まってしまうだろう。

 ALPS小委員会での議論はそろそろ大詰めだ。近日中に小委員会が開催され、「取りまとめ」が確定するだろう。そして、地元の理解を得たことにする何らかのプロセスがはじまると思われる。

 しかし、地元の漁業者は「放出ありき」の議論に、早くも反発を強めている。

 ALPS小委員会は、陸上保管案を真剣に検討し直し、地元も含めた幅広い市民の意見をきくべきだろう。

注1) 2019年11⽉18⽇東電発表資料
注2)原子力市民委員会「ALPS 処理水取扱いへの見解」2019年10月3日
注3) 第14回 多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会 資料3
注4) 第15回 多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会における東電発言
注5)第16回 多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会 資料4

地球環境と社会のために私たちにできること…代表理事ランダル・ヘルテン インタビュー(その2)

2020年、FoE Japanは設立40年目を迎えます。人生で言えば40歳は不惑と言いますが、日々目まぐるしく変化する社会や環境の中で、私たちがすべきことや考えることも変化し、目の前の課題や目指す社会を達成する取り組みについて、私たちは常に模索しているとも言えます。

 一方で、FoE Japanが40年かけて蓄積してきた知恵や活動実績、市民の皆さまからのサポートも、今のFoE Japanの礎となっていることは確かです。

 これまでの数十年、そしてこの先10年、そのまた先を見据え、私たちに何ができるか。2020年は、少し立ち止まって考えながらも、着実に前に進む一年にしたいと思います。

 さて、40周年の最初に、FoE Japanの代表理事であり、長くFoE Japanを知るランダル・ヘルテンに、これまでのFoEの歩みや、ここ数年の環境問題を取り巻く社会情勢、海外から見た日本の状況についてインタビューしました。

パート1はこちら

――

深草)環境・社会問題の構造的な原因を解決しない限り、課題は生成され続けるのかもしれないですね。でも、継続もいつまで…?と考えてしまいます。私はスタッフになって4年です。これまでも市民の力の勝利といえることもたくさんあり、FoEもそれに貢献したといえることはあると思いますが、根本的なシステム・チェンジにどれくらいFoEが貢献できているのか…。個人的には、既存のシステムの前に大きな壁を感じています。

ランディ)環境問題は基本的に人間活動が起こしていると思います。社会全体を見れば、産業、政府、市民社会、様々なステークホルダーがいます。NGOは社会の中の一つの存在で、草の根の声として、FoEが社会で果たしている役割は大きいと思います。カナダに帰国して20年くらい経ちましたが、2〜3年に一度日本にきて、FoEのみんなに会うと、組織として確実に成長していると思います。

 日本の場合、今の政権の中で変化を起こすのが難しいというのはわかります。80年代〜90年代は日本にあまり環境NGOが存在せず、市民の声もなかなか政府にとどかなかった時代だったと思います。北米では、リベラルデモクラシーが成長して、オバマ前大統領の時代は市民社会といい関係があった。日本にも90年代後半に、いい空気が醸成されていた。今は壁がある。だからこそ、どのように影響を与えるか、40周年の今、戦略を考える時期かもしれません。

(写真)COP25でのアクションの様子。2010年代の後半は特に気候危機の激化を体感した時期でもあった。

 私も、FoE Japanで5年以上、南極海洋保全の活動していますが、日本政府の担当者はほとんどASOC(注:南極・南極海連合)とFoEの声を無視していますね。漁業関係者と水産庁が世界の会議にでて、日本を代表しています。日本政府は市民のための組織なのに、なぜ漁業セクターだけが国際会議で日本を代表しているのか。社会の中で一緒に行動できる仲間をもっと探さないといけないです。

 個人的に、過去経験の30年を振り返ると、最初のインスピレーションー地球環境を守る、地球と人類を守っていく、という動機は正しいと思います。NGOとして、お金も人材も限られているけれど、やろうとしていることは正しい。

 一方、例えば化石燃料企業はお金も政治的影響力もあるけれど、これまでわかっていることとして、化石燃料企業は60年代からすでに気候変動について知っていたにも関わらず、利益のために間違った情報を流していました。これに立ち向かうには市民としてやはり活動を継続するしかない。

深草)これまで、システムに問題があり根本的な部分を解決しないといけないという話がありましたが、システムは変わりつつあると思いますか?

ランディ)日本の場合、残念ながら今の政権では難しいだろうと思います。世界の政治でも、ナショナリズムが台頭し、排他的な考え方が増え、富と力がより一握りの人間に集中するようになってきました。それを考えると暗い気持ちになります。

一方で、FoE Japanの仲間たち、人権・環境を保護しようとしている人たち、持続可能な社会を実現しようとする価値観を持っている人たち・組織・企業・政治家が前より確かに増えています。そう考えると、いろんな新しい可能性も出てきていると思います。それをプラスと考えて、チャンスを掴むべきですね。

また、環境運動や気候変動の活動の黎明期と比べると、現在は科学的な根拠がたくさん見出されてきています。それも追い風であると思います。

深草)最後に、40周年を迎えるFoE Japanとそれを支えて下さっているみなさまへメッセージをお願いします。

(写真)私たちに必要なのは現在のシステムの抜本的変革だ。COP24にて。

ランディ)2020年の新年、2020代の新年代、FoE Japanの40周年のタイミングで、今からの10年はまたとても大事な10年ですよね。IPCCは今から10年が勝負と言っています(注:パリ協定の1.5℃目標達成のためには、2030年までに2010年比で温室効果ガス45%排出削減が必要)。SDGs(持続可能な開発目標)も2030年までの目標です。気候変動目標、そして持続可能な開発目標の達成のためにFoE Japanに何ができるのか今考えなくてはいけませんね。化石燃料企業や原発推進企業など産業界はお金もパワーを持っています。彼らは解決を遅らせようとしています。しかし地球は希望もあります。Fridays for Futureにはとてもパワーを感じます。市民もパワーと希望を持って進んでいきましょう。

(写真)気候マーチに参加する日本の若者

地球環境と社会のために私たちにできること…代表理事ランダル・ヘルテン インタビュー(その1)

 2020年、FoE Japanは設立40年目を迎えます。人生で言えば40歳は不惑と言いますが、日々目まぐるしく変化する社会や環境の中で、私たちがすべきことや考えることも変化し、目の前の課題や目指す社会を達成する取り組みについて、私たちは常に模索しているとも言えます。

 一方で、FoE Japanが40年かけて蓄積してきた知恵や活動実績、市民の皆さまからのサポートも、今のFoE Japanの礎となっていることは確かです。

 これまでの数十年、そしてこの先10年、そのまた先を見据え、私たちに何ができるか。2020年は、少し立ち止まって考えながらも、着実に前に進む一年にしたいと思います。

(聞き手:スタッフ深草)

深草)最初に自己紹介をお願いします。

ランディ)ランダル・ヘルテンと言います。カナダで生まれ、若い頃はキャンプやハイキングなど、自然の中で過ごすのが好きでした。親が航空会社に勤めていたこともあり、若い頃にいろんな国を見ることができました。高校を卒業し、日本から電気製品を輸入しアメリカで販売する仕事につきました。その後、大学でマーケティングを勉強して、卒業後の1988年秋に来日しました。最初はビジネスコンサルティングの会社にいたのですが、環境問題について大変な危機感も抱いていて、ボランティアできる団体を探したところ、FoE Japanを見つけました。最初はハイキングプログラムに参加し、その後オフィスでのボランティアもしました。その時は「地球の友」という名前で活動していました。1989年からなので、もう30年の付き合いになりますね。

(写真)ランダル・ヘルテン

深草)当時はどのような課題に取り組んでいたのでしょうか?

ランディ)まずは設立経緯について。1980年当時はもちろん自分はいませんでしたが、FoE Japanの創設者の一人である田中幸夫さんが、アメリカでFoEの創設者であるデイビッド・ブラウアーに会ったところ、日本にもFoEを作ってはどうかと提案されたことがきっかけで、FoE Japanが創設されたそうです。FoE Japanとしての一番最初の活動は、エイモリー・ロビンスを日本に招いて、スピーキングツアーをすることでした。彼の1978年の著作である”Soft Energy Paths: Toward a Durable Peace”を読むと、彼の話は今も重要であることがわかります。彼は、原発は危険であり、再生可能エネルギーこそ私たちが選ぶべき道であると述べています。また、エネルギーと平和のつながりを語っています。

 1990年代のFoE Japanも、今と同じく森林の問題や、エネルギー問題、気候変動、開発金融の問題に取り組んでいました。そういう意味では一貫性がありますね。特に、90年ごろに大きかったのは「金融と環境」と熱帯林保護です。当時のFoE Japanのやり方として、海外のFoEとの繋がりを生かしつつ、日本国内でキャンペーンやネットワークを作って活動するパターンが大きかった。熱帯林行動ネットワーク(JATAN)がFoE Japanの中にできて、その後はサラワク・キャンペーン委員会ができました。また、90年代半ば、日本湿地ネットワークの創設に貢献しました。90年代は、ロシアの森林に関するキャンペーンも規模が大きかったですね。シベリアトラの保護活動などもしていました。80年代には国内の環境団体がとても数少なく、海外のマスコミは(日本の環境活動に関する)情報が得がたかったと聞いています。そのため、海外からの問い合わせがたくさんきました。当時、日本の情報を海外に流す、そして海外の情報を国内に流す、というのはFoE Japanの大きな役割だったと思います。

深草)90年代に、開発金融や森林問題についての活動が大きかったとのことですが、その当時社会的にも大きく認知された問題だったのでしょうか?当時のFoE Japanがそれに注力した背景には何があったのでしょうか?

ランディ)1989年に500人くらいのアマゾン地域先住民族等が、ブラジルで大規模ダムの反対キャンペーンのための集会を行いました。アルタミラ集会(The Altamira Gathering)と呼ばれています。日本からは、田中幸夫さんがこの会議に参加し、インスピレーションを受けたのではないかと思います。

 その後、90年代に今も協力関係が続くPARCなど他団体と協力してインドのナルマダダム建設に反対するキャンペーンを行いました。ナルマダダムは世界銀行の融資によるプロジェクトで、世界銀行が環境破壊や人権侵害しているとして国際的な反対キャンペーンがあり、日本の窓口がFoE Japanでした。FoEのスタッフもインドに行って調査を行い、91年ごろに日本で大きな会議もやりました。その時、OECF(注:注:海外経済協力基金。国際協力銀行(JBIC)を経て、現在は国際協力機構(JICA)の円借款部門)の関与するプロジェクトでの環境人権問題に関する問題提起をかなりやりました。日本政府はびっくりしたと思います。FoE Japanの活動のインパクトはあったのではないでしょうか。その流れが2000年代初めにJBIC環境社会配慮ガイドラインを作成させるという活動につながりました。

(写真)奇跡的に残っていた1997年のニュースレターより。2001年以前のニュースレターをお持ちの方ぜひFoEにコピーを送っていただけると嬉しいです!

深草)今も日本の公的資金や開発金融が引き起こす問題は解決していませんし、むしろ金融機関による人権侵害や環境破壊の状況は悪くなっている気がします…。

ランディ)20代のころから、人口が増え環境破壊がどんどん進み、人類が危機にあるという感覚がありました。80年代後半に日本に来て、これからの人生を考えた時に、人類に貢献したいという気持ちがありました。FoE Japanを見つけて、魅力を感じたのは、国際的なネットワークを持っているけれども、草の根の活動をしていること。それは今も変わってないですよね。もう30年関わっていますが、今も毎日ニュースを見て、気候変動やマイクロプラスチック、海面上昇、生物多様性の問題など、すべて悪い方向に向かっている…。だらこそ、FoEのネットワークの効果を期待しています。こういう仕事は終わりがないと思います。継続することがとても大事。一つの成功があっても、「システム」に問題があるので、それを変えるためには、活動を継続しないといけないと思います。

(写真)2001年のニュースレター。坂本龍一さんの寄稿が!

次へ続く


日本にもあった違法伐採!! 波紋拡がる宮崎県の盗伐事件(5)

県道に面した川越員さんの被害地。目隠しの一列残しもない。

第三回 宮崎市大字吉野字深坪(その1)

 2019年12月13日、宮崎県内の伐採業者ではじめて森林法違反(森林窃盗)の罪に問われている「黒木林産」社長の黒木達也被告の論告求刑公判が宮崎地裁(今澤俊樹裁判官)で開かれました。検察側は懲役1年6ヶ月を求刑し、論告で「供述は不自然で一貫していない。故意だったことは明らか」と指摘。弁護側は「未契約の山林だと失念していたことによる誤伐だった」として無罪を主張しました*1。判決は2020年1月27日に出る予定です。

 今回は、宮崎県盗伐被害者の会会員の川越員(かず)さん、威尚(たけよし)さん、そして矢野育教さんの事件を紹介します。この事件は本稿第一回瓜生野ツブロケ谷の事件において有罪判決を受けた岩村進と松本喜代美が関与している事件です。
※今回も被害当事者の川越員さん、矢野育教さんのご了承を得て、実名で記述しております。

被害林地概要
 川越員さんの林地は2014(H26)年11月~12月に盗伐被害に遭いました。員さんが被害に気付いたのは伐採直後で、まだ丸太が搬出される前でした。林地の地番は130-1で面積は495m2(0.0495ha)です。土地の名義はご主人の川越威尚(たけよし)さん。
 威尚さんは週1回程度は森を見回っていました。80年生くらいの林分で「3~4人で回さないと管理できないような良材」も数十本あったそうで、よく管理されていた林地でした。この林地は威尚さんの祖母が植えた山で、威尚さんも草刈など手伝いをしていたこともあり、とても愛着がありました。土地の境界の一列は間隔を狭めて植えらており、さらに「キンチク(蓬萊竹)」も植えられていて境界は明確でした*2。この林地の登記は平成19年に済んでいましたが地籍調査はまだ済んでいませんでした。
 林地は本庄川付近の県道17号南俣宮崎線沿いに位置していて、通りからの目隠しとして一列を残すようなこともせず、まさに白昼堂々、盗伐が行われたところです。

盗伐発見後、伐採した張本人たちと遭遇
 2014(H26)年11月、盗伐被害に気付いた数日後の出来事でした。員さんとご主人が被害現場を訪れると、県の耕地整理担当の方が草刈をしていたそうです。員さんたちはその方に「この林地、誰が伐ったんですか?」とたずねると「K林業ですよ」。なんと犯人と思われる事業者が判明したのです。さらには県の方がK林業に連絡を入れてくれ、少しの間に関係者が現場に勢揃いしました。K林業、Y親子、耕地に関する当該地区の役員で員さんのご主人の従兄弟、そして岩村進、その妻の岩村直枝、松本喜代美です。員さんたちは早々に盗伐の張本人と思われる面々と遭遇したのでした。
 ここでの話の中で松本喜代美は「奥のほうに川越さんの山がありました」という発言がありました。つまり伐採する前から員さんたちの林地であることを認識していたのです。それを受けて員さんは松本喜代美に「なぜ境界の確認にこなかったのですか?きちんと確認すればうちの山は伐らずに済んだのではないですか?」と問うと返事はなかったそうです。もう一つ員さんが奇異に感じたこととして、書類上での確認をしたかったのか、松本喜代美とYの息子が話の途中でYの家に戻り、書類を持ってきたそうです。彼らはその書類を員さんたちに見せようとはしませんでしたが、結果として員さんは、K林業が伐採したことと、その伐採が極めて不当なものであろうことを認識したのでした。

 その後、今度はK林業から員さんに「Yの家に岩村、松本がくるから」との連絡があり、員さんご夫妻とご主人の従兄弟を連れ立って、Y宅へ訪問しました。ここでの話もなぜ員さんたちの林地が伐採されたのかが明らかになる情報は得られませんでしたが、車椅子を使用しているYを松本喜代美と岩村直枝がサポートしている光景から、員さんは彼らが「親戚か」と感じるほどの親密な関係にあることを認識したのでした。

丸太搬出阻止のための看板を設置
 不当に伐採されたことを認識した員さんたちは12月19日、現場に「この丸太を運び出してはならない」との看板を立て、明確な意思表示をしました。それを見たのか、翌12月20日、岩村進、その妻の直枝、松本喜代美の3人が員さんの自宅にきました。このとき岩村直枝が約30分ほどをかけて作成した直筆の書面を員さんに残していったそうです(図1)。
 その後、その看板は員さんに連絡もなく撤去され、ほとんどの丸太はK林業によって搬出されてしまったため、12月25日、員さんは再び「丸太の運び出し禁止」の看板を立てました。すると同日、員さんのご主人の従兄弟とK林業が員さん宅に「耕地整理があるから丸太を寄せねばならない」と看板を取り外すよう説得にきたのですが、員さんは「その必要はない。丸太は腐っても構わない」と突き放しました。12月30日、再びご主人の従兄弟とK林業が「残りのスギを出させて貰えないか」と相談に訪れたのですが、員さんは承知しませんでした。しかしながら結局、看板は撤去され、スギ丸太はすべて搬出されてしまったのでした。
 員さんたちは、伐採自体は現行犯ではなかったものの、伐木については明確な意思を示したにも関わらず、丸太の窃盗被害を受けたのです。

図1 員さんの面前で岩村直枝が作成した書面

はじめて警察に相談
 員さんは、最初の看板を立てた後、弁護士にも相談した上で12月22日、幼馴染の行政書士とともに宮崎北警察署へ相談に行きました。員さんは被害地が自身の土地である証明書類(被害地登記識別情報通知書、地籍図、課税明細書)を警察に提示し、被害を訴えましたが、警察は員さんの話は聞いてくれたそうですが、具体的には何もない対応でした。

伐採業者から渡された偽造伐採届
 2015(H27)年1月16日、K林業が員さん宅を訪れ、伐採届(図2左)を手渡し「その書類を持って行って宮崎市森林水産課になぜ許可したのか聞いてこい」と言い捨てるように帰ったそうです。このとき員さんが手にした伐採届は偽の書類ですが、員さんにはその認識はありませんでした。

図2 偽の伐採及び伐採後の造林届出書(伐採届)

 それが偽造伐採届であることは知らずに、員さんはその日のうちに宮崎市役所森林水産課へ行き、偽の伐採届と被害地の所有権を示す証明書類(被害地登記識別情報通知書、地籍図、課税明細書)を提示して「なぜ伐採を許可をしたのですか?」とたずねたところ、担当職員のAは「書類が提出された場合、受理しないわけにはいかない」と回答したそうです。この書類に“稟議の欄がない”ことに担当Aが気付かないはずはないのですが、ただ単に見落としだったのか、故意に見過ごしたのか、定かではないものの、これは行政の大きな失態だったといえます。このとき員さんはAに岩村進の名刺も渡し、悪質な仲介業者であることを伝えています。Aはその名刺もコピーしたそうです。
 また員さんが担当Aと話をしている最中に、偶然にも松本喜代美が市役所を訪れ、窓口で印鑑のみを市役所職員に手渡しているのを目撃したのでした。員さんはとっさに「この人が悪質な仲介業者ですよ!」と大きな声で叫びました。しかしその場にいた十数人の市役所職員で反応する者は誰一人としていなかったそうです。

 後日談として員さんは、あのとき担当のAが員さんから渡された伐採届を入念に吟味し、偽造であることを確認していれば、有印私文書偽造がすぐ判明したのではないか、あわよくばK林業を逮捕まで追い込むことができたのではないかと、市役所の不作為に怒りをあらわにしています。

再び警察へ、しかし「裁判したほうがよい」
 2014(H26)年12月に相談して以来、警察からは何も音沙汰がなかったので、6月5日、員さんは再び北警察署を訪問しました。しかし驚くことに、窓口に行った途端に警察官が出てきて、開口一番「裁判したほうがいいよ」と発したそうです。員さんが持参した偽の伐採届をコピーする程度の対応はありましたが、それ以上話を聞くこともなく帰されてしまいました。ほぼ門前払いを受けた形です。このことを員さんは「駐車場に着くと顔とかよく確認できるのではないか?だから「誰か」を確認することなく、言葉を発することができたのだろう」と振り返ります。
 盗伐被害者の会会長の海老原さんはこうした警察の対応について、「警察には『盗伐被害者は追い返せ』というマニュアルでもあるのだろう。刑事事件の民事事件へのすりかえが徹底されているとしか理解できない」と憤ります。

 次回は、員さんが宮崎県盗伐被害者の会会長、海老原裕美さんと出会い、サポートを受けながら明らかにした事件の全容について説明します。(三柴淳一)

*1 宮崎日日新聞2019年12月4日紙面
*2 地元ではキンヂクとも呼ばれる。この地域では林地の境界にキンチクを植えることがよく知られている。

第一回 宮崎市瓜生野ツブロケ谷(その1)
第一回 宮崎市瓜生野ツブロケ谷(その2)
第二回 宮崎市高岡町花見字山口(その1)
第二回 宮崎市高岡町花見字山口(その2)

【横須賀石炭訴訟報告 vol.2】再び傍聴者超満員。処分性と原告適格について主張

12月23日、第2回目の横須賀石炭火力訴訟裁判が開廷されました。法廷定員が96名の中、128名が傍聴のために東京地方裁判所に駆けつけ、超満員となりました。

今回は、前回裁判で提出された被告(国)の「横須賀石炭火力行政訴訟の提訴(以下「本件」)は不適法だから却下すべき」という答弁書への反論が主な内容でした。

(訴訟の概要についてはこちら

(第一回目期日の報告はこちら

国が本件を不適法と述べる理由としてあげたのは、

(1)本件は取消訴訟の対象となる処分ではない(処分性がない)

(2)原告らに本件通知の取り消しを求める法律上の利益がない(原告適格がない)

の2点です。上記に対し、原告は以下のように反論しました。

(1)本件は取消訴訟となりうるか?

取消訴訟としてみなされるには、「国・公共団体の行為により、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているもの」である(=「処分性がある」)必要があります。

今回の裁判に当てはめた場合、環境影響評価書の確定通知がないと発電所の操業や建設工事に着手できる権利が発生しないこと、また、電気事業法においても工事の届出をしないと工事することはできないと定められている通り、法律上の手続きを経ないと事業が進まないことから、被告の申立ては通用しないことが言えます。

(2)確定通知の取り消しを求めることで、原告らに法律上の利益はあるか?

原告適格について、国は「個々人の一般的利益を保護しようとすることではなく、一般的利益としての環境の保全を図ろうとしている」と言って、原告らに環境影響評価の確定通知取消を求めても利益がないと主張しましたが、もしこのまま建設が進んでしまった場合の原告の被害は、

(1)排出されるCO2によって気候変動が進行して生じる被害

(2)排出される大気汚染物質によって生じる身体健康被害

(3)排出される温排水によって漁業資源が失われる等の生業喪失

の3点あるとして、原告側は原告適格を主張しました。

実際、気候変動によって、すでに大型台風等異常気象による損失と被害は起きており、熱中症等の搬送者数も今年は最高記録を更新しています。

また、大気汚染の影響を被る範囲について、神奈川県環境影響評価条例では、一定規模以上の火力発電所については「対象事業の実施区域又は当該法対象事業の実施されるべき区域の周囲から3kmの区域」を関係地域として指定しており、発電所アセス省令においても、火力発電所の周囲20kmの範囲を影響調査の対象地域としています。

温排水による環境の影響についても、近年の調査によって、海水温の上昇に伴う藻場植生の変化が見られる等、影響があることが認められています。

提訴時の45人の原告は発電所の20km圏内に住んでいる方が多く、20km圏外に住む原告であっても熱中症になりやすい年少者や高齢者です。また、新たに3名が原告に加わりましたが、いずれも漁業等関係者です。

以上のように、本件には処分性も原告適格もあることは明らかです。

求められる脱石炭

また、裁判後の報告会では、第二回期日の内容の報告のほか、気候ネットワーク平田仁子さんより、石炭火力をめぐる国際動向についての説明がありました。

パリ協定締結以来、世界の国々は脱石炭に舵を切っています。また、昨年秋からのFridaysForFutureの運動の影響もあり、今年春には欧州で環境派の緑の党が大きな躍進を見せました。そして、9月の気候行動サミットを呼びかけたアントニオ・グテーレス国連事務総長は、1.5度に気温上昇を抑えるために、

・2020までに新規の石炭火力発電を中止

・2050年に実質ゼロ

・2030年までに温室効果ガスを45%削減

を各国に呼びかけました。

一方、日本はCOP25においてもこの要請に応えず、国際的な批判を浴び続けています。

日本がすべきことは、グレーテス国連事務総長の要請を国策に反映すること、そして、それらに伴う仕事・雇用の公正な移行のための戦略を策定することが何より求められます。

本件が早く本審議に移行することとともに、日本の政策が脱石炭へと大きく方向転換されることを望みます。

次回期日は3月23日(月)14:00~、場所は東京地方裁判所(東京・霞ヶ関)です。
今回同様、裁判後は同裁判に係る報告会を、日比谷図書館にて開催します。
法廷に入廷できなかった場合も、裁判の様子はこちらの会にて裁判の報告をさせていただきますので、ぜひご参加ください。
申し込みフォームは後日、下記webサイトに掲載の予定です。
https://yokosukaclimatecase.jp/

FoE Japanは、引き続き、原告および訴訟サポーターのみなさまとともに、石炭火力の新設計画中止を求めて活動してまいります。

(高橋 英恵)

*横須賀石炭火力訴訟では、同裁判を支援するサポーターを募集しています。サポーターに登録いただいた方には次回期日の詳細、また、関連情報をお届けしています。ぜひ、皆様の知人、ご家族もお誘いの上、横須賀訴訟サポーターにご登録ください!

登録はこちらから↓

https://yokosukaclimatecase.jp/support_us/

【COP25 Vol.7】 COP25閉幕―主要議題で合意に至らず。評価できる点も

12月13日に交渉最終日を迎える予定だったCOP25。土曜深夜も交渉が続いた後、日曜昼過ぎに閉幕しました。気候変動がもはや目の前の危機として認識される中、先進国は気候危機の現実から目をそらし、国際市場メカニズムなど「誤った気候変動対策」を推進していることをFoEグループは批判してきました。

 会議終盤、主要議題であった国際市場メカニズムや目標引き上げは合意に至らず、これらの論点は来年の中間会合に持ち越されることになりました。しかし、既に発生・拡大している損失や被害に対応するため、途上国提案を基にした支援制度の強化が盛り込まれました。また、温室効果ガス排出の賠償責任を負わないとする文言を求めた米国の主張は途上国によって拒否されました。国際市場メカニズムに合意がなかったことは、むしろ多くの排出を許すルール決定に至らなかったという意味であり、今後も国際市場メカニズムをめぐる戦いは続くことになります。

FoEグループは、温室効果ガス削減に対する拘束力を持たないパリ協定では1.5℃目標達成は難しく、そもそもパリ協定自体がとても弱い枠組みになってしまったことを批判してきました。

私たちに残された「カーボン・バジェット(炭素予算。温度目標達成と整合する、温室効果ガスの累積排出量の上限値)」はほとんどありません。一刻も早く、社会全体の脱炭素化を行わなくてはいけません。しかし、温室効果ガスの排出は増え続けています。1.5℃目標達成のためには、2030年前でに2018年比で55%の排出削減を行わなくてはいけません(UNEP Emissions Gap Report 2019)。

現在の気候危機に対する責任が大きく、資金や技術を持つ先進国にこそ大きな削減義務があるはずですが、目標引き上げや次回の長期資金目標に関する交渉結果は乏しく、途上国にとって残念な結果に終わりました。

 一方で損失と被害の賠償責任を認めないという文言をどうしても含めたかった米国の主張は日本を含む先進国に支持されたものの、途上国の強い反対で最終的に落とされました。今回のCOPで損失と被害に関する支援強化のための専門家グループとサンティアゴネットワークの設立も決定され、それは評価できる点といえます。

来年のCOP26はスコットランド・グラスゴーで開催される予定で、4年連続ヨーロッパでCOPが行われることになります。特にアジアやラテンアメリカの途上国や市民社会の参加への負担は大きくなるので、参加の機会確保が課題です。また来年は京都議定書が終わり、パリ協定が始まる年でもあります。この10年は「(再び)失われた10年」と表現されることもあります。排出は増え続け、被害は拡大しています。パリ協定の実施はそれぞれの国にかかっていますが、各国が公平性をもって削減に取り組むためルールや、1.5℃目標達成のためにどのように各国目標を引き揚げさせるのか、国際市場メカニズムなどの誤った対策を推進させないためにもCOPの場での戦いも重要です。

FoEグループはこれからも現場でたたかう人々とともに、グラスルーツの取り組みを進めるとともに、国際レベル・国内レベルの政策をウォッチしていきます。

*COP25の交渉結果・合意内容に関する詳細な報告は後日掲載予定。

(深草亜悠美・高橋英恵・小野寺ゆうり)

【COP25 vol.6】市民の警鐘は会場に響くか? 参加権利剥奪を伴った大規模抗議

12月11日14時40分、各国閣僚が交渉を実施する会場の前で、笛の音が響き渡りました。この合図の下、気候正義を求める市民団体、若者グループ、女性団体、先住民族団体、労働組合等の多くの市民団体と人々が連帯し、先進国に対して野心の引き上げ、気候危機に対しての行動を求める大規模なアクションを起こしました。

一週間以上にわたったこれまでの交渉では、重要な議題にほぼ進展はありませんでした。重要な議題に中には、歴史的に気候変動の原因を作り続けてきた先進国や企業に求められている、すでに深刻化しつつある損失と被害を受けているコミュニティへの資金提供も含まれます。その代わりに交渉の場から聞こえてくるのは、交渉のグリーンウォッシュ化、間違った気候変動対策、そして抜け穴だらけの市場メカニズム等、気候危機をさらに加速させるような内容です。

さらに、先進国は人権保護メカニズム、ジェンダーアクションプランを市場メカニズムから取り除こうとしています。このような状況に危機感を覚えた市民社会がアクションを企画。当初、参加者は会場内でスピーチを試みましたが、会場の警備の強い指示の下、外へ移動。

外に出てもなお、人々の口から発せられたのは、気候危機の回避に欠かせない社会公正実現の必要性、女性への不公正や妹(姉)が受けた暴力への怒りと悲しみ、先住民族が先祖代々管理してきた土地・森林・水を利益のために奪われつつある現状、未来への危機感、そしてそれでも立ち上がるという市民の歌。このように、スピーチをした気候正義のためにたたかっている人々は皆、口を揃えて「ここで発せられている言葉は抗議の場に集まった人々たちのものだけではなく、自分は世界で苦しむ何百万もの人々を代表している」と訴えました。

当初、参加者らは交渉会場の前で、 “cacerolazo(カスロラゾ)”という、本来の開催国であったチリを含む南米等で頻繁に採用される、鍋やフライパン、その他の道具を叩いて注意を引く抗議スタイルに倣い、手もちのカップやCOP会場で配られたカトラリーを使って音を鳴らしながら、最後の交渉に向かう各国大臣たちに、パリ協定下での市場メカニズム導入への反対、損失と被害への資金援助の強化、そして人権尊重を訴える予定でした。

同時に、交渉会場の外で開催されていた市民サミットに参加していた人々も、交渉会場の入り口まで押し寄せ、会場内でのアクションと同時のメッセージを発信すべく、手持ちの道具を使って音を鳴らしていたそうです。

総参加者数は約320人。しかし、アクションに参加したしていないにも関わらず、イエローバッヂ(交渉の傍聴団体)の参加者は、この日の会場の出入りを禁じられることになりました。

行動の実施が伴わないスピーチが続いてきた25年間。

すでに途上国の何十億人もの人々は、気候危機によって荒廃した生活をすでに目にしています。

市民社会はそのような空虚な言葉へのあきれを通り越して、必死になって「Climate Justice(気候正義)」の実現を、各国政府に訴えています。

交渉の場に叫ばれた人々の声、先進国が行動を起こさないことに対する市民からの警鐘とも言えるカセロラゾの音が、各国代表に届いていることを望みます。

(高橋英恵)