【ブログシリーズ 東南アジアのガス開発】第2回 ガスと地球を燃やす日本マネー

3回にわたって東南アジアのガス開発状況とその意味について概説するブログシリーズ「東南アジアのガス開発」。初回の記事では、気候変動問題やそれに対する国際的取り組み、その中でのガスなど化石燃料の位置付けについて解説しました。

今回はその背景知識を踏まえて、東南アジアのガス開発の現状について、フィリピンのシンクタンクCEED(Center for Energy, Ecology, and Development)が作成した “Financing a Fossil Future: Tracing the Money Pipeline of Fossil Gas in Southeast Asia”(以下、「報告書」)を読んで理解を深めていきましょう。

目次

1.東南アジアでのガス開発を推進する事業者と投融資者

 ・事業者

 ・投融資者

2.今求められていることは何か

3.最後に

1. 東南アジアでのガス開発を推進する事業者と投融資者

前回の記事での説明の通り、気候変動を食い止めるためには石炭やガスといった化石燃料から今すぐ脱却し、再生可能エネルギーに迅速に移行しなければならないというのがIPCCやIEAの結論でした[i]。しかしながら、現在東南アジアでは急速にガス関連インフラの開発が進んでいます。東アジアで計画中の新設ガス火力発電の総発電容量は77 GW(ギガワット)であるのに対し、東南アジアで計画されているガス火力の発電容量はそれを凌ぐ総計117 GWに上ります[ii]

化石燃料から再生可能エネルギーへの移行が求められる中、未だに東南アジアでガス関連事業を開始しようとしているのはどういった企業や金融機関なのか?CEEDの報告書はその問いに答えるべく、2016年のパリ協定発効以降も東南アジアで事業者、投融資者としてガス事業を推進している企業などをランク付けしています。

誰がガス開発を進めているのか(事業者)

それではまず、事業者(ガス関連施設を建設、運営する企業)に注目してみましょう。以下のランキングでは2016年1月1日から2022年3月31日までの期間内で操業が見込まれる事業を持つ事業者がカウントされています。 

発電容量で換算すると、東南アジアでガス火力発電事業を最も大規模に推し進めているのは以上の11社です。圧倒的な一位はフィリピンでガス開発を主導するサンミゲル社です。サンミゲル社はFoE Japanもモニタリングしているイリハン・ガス輸入ターミナルのあるバタンガス州で火力発電所の建設を計画しており、同ターミナルで受け入れるガスの主要な消費者ということになります。日本からはタイでガス火力事業に関与している三井物産と、インドネシア、ミャンマー、ベトナムの事業に関与している丸紅がランクインしています。

また、事業の数で換算すると、日本からは三井物産とJ –Powerがそれぞれ3位と5位にランクインしています。両者とも操業中の事業が大半である一方、三井物産は計画中と建設中の事業が合計3案件、 J –Powerは計画中の事業が一案件あり、パリ協定以降もガス火力発電を推進していることが見てとれます。

ガス輸入ターミナルの事業者上位10社の中には、シェル、エクソンモービル、トタルといった欧米の有名オイルメジャーが名を連ねていますが、日本のINPEX、JXTG、兼松といった企業もランクインしています。

以上が2016年1月1日から2022年3月31日までの期間内で操業を開始した事業を持つ事業者に絞ったランキングでした。次に同期間内に建設中、計画中の事業を持つ事業者に絞って見てみましょう。

ガス火力発電事業に関しては上位11社にランクインしている日本企業はありませんが、LNG輸入ターミナルについては1社、LNG輸出ターミナルについては4社がランクインしています。それぞれ見てみましょう。

LNG輸入ターミナルの部門では、7位に北陸電力が入っています。一方LNG輸出ターミナルについては、2位にINPEX、6位に三菱、8位にJXTG、9位に兼松、10位にLNGジャパンがランクインしており、この分野での日本企業のプレゼンスが高いことがわかります。

以上のランキングからわかるのは、

1)日本企業は2016年のパリ協定発効以降も、事業者として東南アジアのガス開発に深く関与してきており、それは現在でも続いていること。

2)   傾向として、日本企業が事業者として関与して2016年に操業開始が見込まれていた事業はガス火力発電と輸出ターミナルが主だったが、2016年以降に建設、計画されている事業で今後操業開始するものは輸出ターミナルと輸入ターミナルである、ということです。

誰がガス開発のお金を工面しているのか(投融資者)

それでは次に、投融資者(ガス開発事業やガス開発会社に対して融資や債権購入を通じてお金を工面する金融機関のこと)に焦点を当てて分析してみましょう。

6年前にパリ協定が発効されて以降も、123もの金融機関が合計334億米ドルもの資金を東南アジアの化石燃料ガスセクターに投融資してきました[iii]。これも気候変動への対応を強化する国際的な流れと逆行するものです。

2021年4月には、2050年までに投融資ポートフォリオを通じた温室効果ガス排出ネットゼロを目指す銀行間の国際的イニシアチブである「Net-Zero Banking Alliance(NZBA)」が設立され、日本からも三井住友フィナンシャルグループ、みずほフィナンシャルグループ、三菱UFJフィナンシャルグループなどが参加している[iv]ものの、これらの企業は以下に見るように、東南アジアでの化石燃料ガス投融資をリードしてきました。

それではパリ協定以後、2016年1月から2022年3月までの間に取引が行われた事業の投融資額のランキングを見てみましょう。

上位10社の中になんと日本の金融機関が4社もランクインしています。1位が三井住友フィナンシャルグループ、2位にみずほフィナンシャルグループ、5位に三菱UFJフィナンシャルグループ、そして10位に日本の政府系金融機関である国際協力銀行(JBIC)が入っています。

投融資者を国別で換算した場合、日本はインドネシアに次ぐ2番目となっており、パリ協定以降の東南アジアでのガス開発に日本が深く関わってきたことを示しています。報告書は、日本やシンガポールなど、国内の電力をガス火力に頼っている国からの投融資が多いと分析しています(p.31)。 

日本の銀行だけでなく世界各国の銀行が、国際的なイニシアチブに参加していながらガス開発に引き続き投融資しており、これは銀行のコミットメントがいかに空虚であるかを示しています。レポートでも言及されていますが、この事実はThe Oil and Gas Policy Trackerによる、銀行の気候変動への対応に対する評価格付けでも確認することができます。この格付けでは、金融機関が投融資のポートフォリオから石油・ガス事業やそれを実施する企業を除外しているかどうか、そしてガス事業からフェーズ・アウトするコミットメントの質を分析した上で点数がつけられます。当然のことながら、JBIC(公的金融機関であるため、ランク付の対象外)を除く日本の上記3社は、全て10点満点中0点と評価されています。

一方で、民間銀行だけではなく公的金融機関もガス開発において重要な役割を担っていることを見逃してはいけません。東南アジアでのガス投融資の半分以上が、政府系銀行、二国間開発金融機関、輸出信用機関によって投じられています[v]。上記のJBICや日本貿易保険(NEXI)は、輸出信用機関に分類されます。

公的資金によるガス事業の支援はその金額が重要なだけでなく、民間金融機関や事業者にとってはリスクヘッジの観点から、なくてはならないものです。というのも輸出信用機関は多くの場合、ガス事業の中でも事業規模が大きくリスキーなものに対する保険を提供しており、それらは公的資金でなければ保険の提供が難しいであろう事業です[vi]。つまり、エネルギー安全保障など国家のエネルギー戦略を推し進めるために、公的資金が、気候変動対策を求める声とガス投融資の非経済性をおしのけてガス投融資を継続させているということです。

さて、2016年以降という時間軸で見ると日本企業の存在がかなり大きいというのがここまでの議論ですが、2020年以降(2020年1月から2022年3月までに取引が行われた事業への投融資額)で区切って見るとトレンドの変化が見てとれるとレポートは指摘しています。どういうことでしょうか。下の図2つをご覧ください。

一つ目の図は2020年以降、東南アジアのガス事業に投融資した企業を投融資額でランキングしたものですが、日本企業は上位10社にランクインしておらず、変わってタイ企業が上位5社を独占しています。これは二つ目の図(国別ランキング)でも明らかで、タイが圧倒的にガス投融資を引っ張っており、アメリカ(9位から3位)とイギリス(8位から5位)も順位を大きく上げています。アメリカからはJPMorgan Chase & Co、イギリスからはStandard Chartered PLCが金融機関別ランキングにそれぞれ10位、9位にランクインしており、これらの企業が米英の順位を押し上げていると見ることができます。一方、日本は2位から7位へと順位を下げています。それでも11億4,010 万 米ドルもの額をこの期間に投融資しており、相対的に下がったとはいえ、まだまだ巨額の投融資を続けていることに変わりありません。

3. 今求められていることは何か

以上の分析を踏まえて、レポートは金融機関に実効性のある対策をとるよう提言しています。

1.  IPCCの地球温暖化に関する特別報告書のP1シナリオ(1.5℃)に基づき、1.5℃パスウェイ(2030年までに世界のCO2排出量を2010年比で45%削減し、今世紀半ばまでにCO2排出量をネットゼロとする)を誤った対策なしに追求する政策、つまりパリ協定に整合した政策を実施すること。具体的には以下。

a. 新規油田・ガス田、LNGターミナル、およびGlobal Oil & Gas Exit Listに掲載された企業への直接・間接の資金供与を禁止する。

(解説: Global Oil & Gas Exit Listとは、環境NGO Urgewaldが作成した、ガス・石油開発に投融資者、事業者として深く関与している企業のリストです。ちなみになぜ直接投資と間接投資とどちらにも言及しているのでしょうか?レポートによれば、パリ協定以降の東南アジアでのガス開発の資金調達は4分の3がコーポレートファイナンス(間接投資)から、残りの4分の1のみがプロジェクトファイナンス(直接投資)から来ていると指摘しています[vii]。つまり、化石燃料事業への直接投資のみを規制するだけでは、ガス開発への資金の流れを止めることができないのです。)

b. ガス火力発電所の新規事業や拡張事業が、その国の低炭素社会への移行に必要かつ経済的に実行可能な繋ぎの燃料(bridge fuel)であると判断される場合には、厳しい制限を設ける。

c. 1.5℃目標に整合する期限内に、全てのガス事業のエクスポージャーからフェーズアウトし、既存のガス火力発電事業については、株式投資の場合、早期撤退を追求する計画と測定可能な計画目標(短期、中期、長期目標を含む)を設定し、開示すること。

(解説:パリ協定の1.5℃目標を達成するためには、エネルギー部門で化石燃料から脱却する必要があります。したがって、既存のガス火力発電事業もできるだけ早く止めなければなりません。そのため、金融機関はガス関連事業に対する投融資を引き揚げることでこの目標達成を促進する必要があります。それは「2050年までに投融資を引き揚げます」といった漠然とした約束ではなく、「5年後にはここまで引き揚げ、10年後にはここまで引き揚げます」と言った短期・中期目標を含めた、具体的かつ実効性のある目標を設定する必要があるということです。)

2. パリ協定に基づく対策を実施する上で、地域開発銀行と地方銀行の重要な役割について区別して考える必要がある。

a. 地域開発銀行は、東南アジアにおいて必要なエネルギー転換のための資金を調達するために、ガスの新規事業および拡張事業に従事する全ての企業に対する融資の禁止をはじめとした、パリ協定に整合する最も野心的なエネルギー対策および戦略の採用を主導するべきである。

b. 地方銀行は、1.5℃目標における自国の妥当な貢献量を達成するために迅速かつ公正な移行パスウェイに資金提供を整合させるべきであり、そのためには新規の油田・ガス田に対する融資を禁止しなければならない。

(解説:繰り返しになりますが、1.5℃目標達成のためには新規のガス開発事業は受け入れられません。銀行の規模に関わらず、新規のガス開発事業への投融資は禁止されなければなりません。加えて、より広範な影響力を持つ地域開発銀行に関しては、模範的な化石燃料脱却戦略を提示して地域内の銀行を引っ張っていかなければなりません。)

3. 人権を侵害し、生物学的に重要で多様な生態系と生息地を危険にさらし、重大な評判リスクをもたらすガス開発事業に対する融資を撤回し、禁止すること。

4. ガス関連事業及びガス会社に提供された全ての金融サービスを開示し、株主及びステークホルダーが気候関連リスクを適切に評価・算定し、事業及び投融資判断において気候変動の影響全般が日常的に考慮されるよう支援するため、気候関連財務情報開示タスクフォースの勧告を全面的に採択すること。

(解説:気候関連の情報開示及び金融機関の対応について検討する気候関連財務情報開示タスクフォース(略してTCFD : Task Force on Climate-related Financial Disclosures)は、 企業等に対して気候変動関連のリスクと機会について、ガバナンスや戦略といった項目を開示するよう推奨しています。報告書はこのTCFDの提言に沿って気候関連情報を開示するべきであるとしています。)

4. 最後に

 CEEDの報告書を精読して明らかになったのは、パリ協定発効以降も日本企業が事業者として、そして投融資者として、東南アジアのガス開発を推し進めているということです。この状況を止めるためには、資本の流れをこれ以上化石燃料に向かわせないことが重要であり、そのためにガス事業投融資からの引き揚げ、具体的な投融資撤退目標の設定、気候関連情報の開示が提言されています。

これらの提言を実現させるため、私たち環境NGOは、企業に対する株主提案、エンゲージメント、株主に対する要請と言った活動を継続しておこなっています。特に提言の1.c 及び4に関しては、近年世界中で大きな盛り上がりを見せる環境関連の株主提案でも求められていることと一致しています。日本でも今年、国内外の環境NGOや機関投資家が三菱商事、三井住友フィナンシャルグループ、東京電力、中部電力、J-Powerに対して同様の内容を求める株主提案がなされ、否決されたものの多くの株主の賛同を集めました

気候変動と、東南アジアのガス開発と、日本企業と、株主提案。どれも一見すると繋がりがなさそうですが、日本企業などが推し進める東南アジアのガス開発が温暖化をさらに加速させるため、それを防ぐための株主提案ということで、これらは密接に関わり合っています。次回は、東南アジア諸国の一つ、フィリピンに焦点を当ててガス開発の現状をさらに詳しくみていきます。


[i] IPCC, 2022: Summary for Policymakers. In: Climate Change 2022: Mitigation of Climate Change. Contribution of Working Group III to the Sixth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change [P.R. Shukla, J. Skea, R. Slade, A. Al Khourdajie, R. van Diemen, D. McCollum, M. Pathak, S. Some, P. Vyas, R. Fradera, M. Belkacemi, A. Hasija, G. Lisboa, S. Luz, J. Malley, (eds.)]. Cambridge University Press, Cambridge, UK and New York, NY, USA. C.3. 及び、International Energy Agency. 2021. Net Zero by 2050: A Roadmap for the Global Energy Sector. Summary for Policy Makers. p.9

[ii]Center for Energy, Ecology and Development. 2022. Financing a Fossil Future: Tracing the Money Pipeline of Fossil Gas in Southeast Asia. p.12

[iii] ibid. p.26

[iv] https://www.unepfi.org/net-zero-banking/members/

[v] Center for Energy, Ecology and Development. 2022. Financing a Fossil Future: Tracing the Money Pipeline of Fossil Gas in Southeast Asia. p.27

[vi] Darouich, Laila., Igor Shishlov and Philipp Censkowsky. 2021. Paris Alignment of Export Credit Agencies: Case Study #3 Japan. Perspectives Climate Research. p.5.[vii]Center for Energy, Ecology and Development. 2022. Financing a Fossil Future: Tracing the Money Pipeline of Fossil Gas in Southeast Asia. p.31

【ブログシリーズ 東南アジアのガス開発】第1回 気候変動と化石燃料ガス

3回にわたって東南アジアのガス開発状況とその意味について解説するブログシリーズ「東南アジアのガス開発」。初回である今回は、2回目以降の記事を理解するにあたって必要になる前提知識を概観します。具体的には、気候変動に関する科学的知見と、その壊滅的な影響を防ぐために国際的にどのような対策が求められているのかについて解説します。

目次

1. 気候変動の影響

2. パリ協定と1.5℃目標

3. 1.5℃目標達成の道筋

4. なぜ新規の化石燃料事業はパリ協定に整合しないのか

1. 気候変動の影響

気候変動に関する科学的知見は年を追うごとに精密になっています。そこでまず、気候変動に関する研究をまとめ、評価しているIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の最新の評価報告書から幾つかの重要な科学的知見を確認してみましょう。

「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない。」[i]

IPCCはこれまで、温暖化の原因が人間の影響であることを、高い可能性があるとし、2021年8月に公表されたIPCC 第6次評価報告書の第1作業部会の報告(以下、IPCC AR6, WG 1, SPM)では、「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない。」と改めて断言しました。

実際日本でもここ数年、「記録的猛暑」という言葉をニュースで聞き飽きるくらい耳にします。さらに今年6月25日には伊勢崎市で6月の観測史上初の40.2℃を観測しました。6 月下旬から 7 月初めの記録的な高温について、気象研究所などが9月に発表した調査結果によると、「地球温暖化の影響が無かったと仮定した状況下では、同じラニーニャ現象等の影響があったとしても、およそ 1200 年に 1 度という非常に稀な事例であった」と指摘し、温暖化により高温の発生確率が格段に上がっていたことを明らかにしています[ii]

また、このような猛暑についてIPCCは、「過去10年に観測された最近の極端な高温の一部は、気候システムに対する人間の影響なしには発生した可能性が極めて低い(IPCC AR 6, WG 1, SPM, A.3.1)」としています。こういった極端な熱波のみならず、極端な大雨、干ばつ、熱帯低気圧などが既に世界中で見られるようになっています。

図1(出典:文部科学省、気象庁訳。IPCC AR6, WG 1, SPM、図SPM.6) 

さらに同報告書によれば、こういった「極端現象」は地球温暖化が進むにつれて、これからより激しく、より頻繁になると予想されています。上図で示されているように、産業革命以前と比較した1度の気温上昇時 (産業革命以前と比べて、地球は既に1.09度上昇したと推定されている[iii])には、人間の影響がない気候で平均して50年に1回発生するような極端な気温は、頻度にして4.8倍、強度にして1.2℃増加します。一方で、温暖化が4℃に達すると、頻度にしてなんと39.2倍、強度にして5.3℃増加すると予想されています。地球温暖化は既に猛暑といった形で私たちに明らかな影響をもたらしていますが、温暖化がさらに悪化すれば、それだけ猛暑の頻度と強度が増幅するということで、それに伴って損失や損害が拡大します。気温上昇と、気候変動による壊滅的な被害を避けるための対策や被災時の対応の強化が急務です。

2. パリ協定と1.5℃目標

IPCCが1988年に設立され、1990年に発表した第1次評価報告書が、1992年に採択されることになった国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の重要な科学的根拠とされました。その締約国会議(COP3)で京都議定書が、そしてCOP21ではパリ協定が採択されました。パリ協定では「世界の平均気温の上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃以下に抑える努力をする[iv]」ことに合意しています。

ここでは気温の上昇を2℃未満という目標と共に1.5℃以下に抑えるという努力目標が両方記されていますが、上述のように現在の1度の温度上昇ですら、既に熱波など目に見える極端現象が頻発していることを考えると、1.5℃以下を目指さなければならないのは明らかです。実際、2018年に発表されたIPCCの『1.5℃特別報告書』では、2℃の気温上昇が起こった場合と比べて1.5℃の場合の方が、「海洋生物多様性、漁業[資源]、及び生態系、並びにこれらがもたらす人間への機能とサービスに対するリスクが減少することが予測される[v]」など、1.5℃に気温上昇を抑えるべき理由を科学に基づいて主張しました。社会的な影響についても、「2℃に比べて1.5℃に地球温暖化を抑えることで、気候に関連するリスクに曝されるとともに貧困の影響を受けやすい人々の数を2050年までに最大数億人削減しうるだろう(確信度が中程度)[vi]。」と述べており、気温の上昇を1.5℃以下に抑えることの重要性がわかります。開発途上国が国際交渉の場で1.5℃目標を粘り強く主張し続けてきたこともあり、今ではパリ協定の枠組みで目指すべき気温目標は1.5℃とされるようになりました。

3. 1.5℃目標達成の道筋

では、1.5℃目標を達成するにはどうすればよいのでしょうか?IPCC 第6次評価報告書の第1作業部会の報告によれば、気温上昇を産業革命以前と比べて(67%の確率で)1.5℃に抑えるためには、私たちが将来にわたって排出できるCO2の量(残余カーボンバジェット[vii])の推定値は400Gt(ギガトンは10億トン)です[viii]。これは報告書が発表された2021年時の残余カーボンバジェットですが、2010年から2019年の10年間のCO2排出量は410Gtであり[ix]、この排出ペースが変わらなければ2021年からの10年間で、温暖化を1.5℃に抑える残余カーボンバジェットを使い切ってしまいます。

図2(出典:文部科学省、気象庁訳。IPCC AR6, WG 1, SPM, 図SPM.4) 

では、このわずかなカーボンバジェットを使い切らないようにするにはどうすればよいのでしょうか?上図にあるように、IPCCの同報告書は、将来のCO2排出シナリオを5つ示しています。この中で1.5℃目標を達成できる程度までCO2排出量を十分抑えられているのはただ一つ、水色のシナリオ(SSP1-1.9)であり、このシナリオならば「世界平均気温が、1.5℃の地球温暖化を0.1℃より超えない一時的なオーバーシュートを伴いながら、21世紀末にかけて1.5℃未満に戻るように低下するだろうことは、どちらかと言えば可能性が高い[x]。」としています。SSP1-1.9は、CO2排出量が2030年頃には半減、2050年頃には正味ゼロ(ネットゼロとも言う。排出したCO2の量と森林による吸収などによって除去されたCO2の量が釣り合って全体として排出量がゼロになる状況のこと)となり、それ以降は排出量より除去量が多くなっています(SSP1-1.9の線は、2050年以降0より下のマイナスで推移しており、これはCO2を除去していることを意味する)。

しかし、オフセットに頼ったネットゼロ達成を至上目標とすることは危険なことでもあります。気候変動対策には化石燃料由来の温室効果ガス排出の削減が最重要ですが、「化石燃料を燃焼して温室効果ガスを排出しても、木を植えてオフセットするから問題ない」という口実を与えかねないからです。実際、大手の化石燃料企業は大規模植林に頼ったネットゼロ計画を策定し、化石燃料の開発を継続しています。また、除去の別の手段として炭素回収・貯留技術(CCSと略される。発電時に排出されたCO2を回収し地中に貯留する技術)も注目されています。しかしコストが高く、将来にわたり安定的に貯留できるのか不透明です。また日本国内では貯留に適する場所も限られているといった課題もあります[xi]。こういった未確立の技術を言い訳に温室効果ガスを排出し続けるのは、取らぬ狸の皮算用のようです。

従って、1.5℃目標達成に向けた理想の道筋としては、オフセットに頼ることを前提とした「ネットゼロ」ではなく、できるだけオフセットに頼らない「リアルゼロ」がより良い選択肢となります。実際、2022年に発表されたIPCCの第3作業部会の第6次評価報告書では、リアルゼロに近いシナリオが取り上げられています(下図参照)。

図2(出典:IPCC AR6, WG 3, SPM, 図SPM.5よりFoE Japan作成) 

図中の3つのシナリオIMP-LD(効率的な資源の利用、世界的な消費パターンの転換による低需要の実現)、IMP-REN(再エネ重視)、 IMP-SP(不平等の軽減を含む持続可能な開発への転換を通じた排出削減)はいずれも50%以上の確率で温暖化を1.5℃に抑えられるとされています[xii]。さらに、これら3つのシナリオは排出量が大きくマイナスに推移していないため、前図のSSP1-1.9と比べて世紀後半の温室効果ガスの除去に頼っていないことが見てとれます。オフセットに頼るネットゼロでなくとも、リアルゼロに近い形で温暖化を1.5℃に抑える可能性はまだ残されているのです。

さらに、IPCCの将来シナリオはその多くが既存の経済モデルをベースにしており、ライフスタイルの変革などより突っ込んだ社会経済変革(システムチェンジ)による排出量削減ポテンシャルはまだ限定的にしか評価されていない点も留意しておく必要があります。大胆な政治決断を通じてIPCCシナリオが想定するより早く脱化石燃料を達成することも可能です。先の3つのリアルゼロ・シナリオを私たちが達成できる限界として見るのではなく、さらなる可能性を模索しなければなりません。

ここまでの議論をまとめると、気候変動による壊滅的な影響を抑えるためには、温暖化による気温上昇を(産業革命前と比べて)1.5℃以下に抑える必要があり、そのためには除去に頼らないで温室効果ガスの排出を実質的に、それもできる限り早く削減していく必要があるのです。

4. なぜ新規の化石燃料事業はパリ協定に整合しないのか

では、温室効果ガスの排出削減には、具体的に何が求められるのでしょうか?そこで鍵になるのがエネルギーセクターです。エネルギーセクターは現在世界の温室効果ガス排出の4分の3を占めます[xiii]。石炭、ガス、石油といった化石燃料由来のエネルギーは、採掘、輸送、火力発電所での燃焼時に多大な温室効果ガスを排出します。したがってこの部門での対策が1.5℃目標達成に不可欠となります。

IPCCによると、現在稼働中・そして計画中の化石燃料インフラからだけでも、2℃を超える温度上昇につながる量のCO2が排出されると試算されています[xiv]。国際エネルギー機関IEAが2021年に出した2050年ネットゼロシナリオでも、これ以上新規の石油・ガス開発事業や炭鉱の新設・拡張はネットゼロの道筋と整合しないと明らかにしています[xv]。化石燃料に代わって再生可能エネルギーへの投資を急増させ、2035年までに先進国の電力をネットゼロとし、2040年までには世界全体の電力をネットゼロ、2050年までには世界全体の電力の90%を自然エネルギーで賄うとしています[xvi]。IPCCの第6次評価報告書第3作業部会報告書においても、気温上昇を1.5℃に抑えるためのシナリオでは化石燃料利用を急激に削減し、再生可能エネルギーに移行されるとしています[xvii]

つまり、気候変動による壊滅的な影響を避けるための1.5℃目標を達成するためには、石炭及びガスといった化石燃料を新規に開発する余裕はなく、むしろそれらは段階的に廃止しつつ、再生可能エネルギーへの移行を促進する必要があるということです。そしてもちろん移行に際しては、地域社会の声を尊重する必要もあります。再生可能エネルギーの蓄電や電気自動車に使用されるニッケルを採掘、精錬する際に現地住民の生活や環境を破壊してしまうことがあっては、本末転倒です(例えば、フィリピンのリオツバタガニート、インドネシアのポマラにおけるニッケル開発)。 

さて、IPCC報告書やIEAの2050年ネットゼロシナリオでも、これから世界が進むべき脱化石燃料の方向を示しているにも関わらず、 実は東南アジアではガス開発事業が急速に進んでいます。そしてその事業に対し、事業者としても投融資者としても、日本の官民が深く関与してきているのです。本記事で紹介した気候変動の背景を踏まえた上で、次回以降の記事では東南アジアのガス開発に関するレポート等を解説します。


[i]IPCC, 2021: Summary for Policymakers. In: Climate Change 2021: The Physical Science Basis. Contribution of Working Group I to the Sixth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change [Masson-Delmotte, V., P. Zhai, A. Pirani, S.L. Connors, C. Péan, S. Berger, N. Caud, Y. Chen, L. Goldfarb, M. I. Gomis, M. Huang, K. Leitzell, E. Lonnoy, J.B.R. Matthews, T. K. Maycock, T. Waterfield, O. Yelekçi, R. Yu and B. Zhou (eds.)]. In Press.(文部科学省、気象庁訳。『IPCC 第6次評価報告書 第1作業部会報告書 気候変動2021:自然科学的根拠 政策決定者向け要約(SPM) 暫定訳(2022年5月12日版)』 )

[ii]文部科学省、気象庁気象研究所、2022年9月6日。「令和 4 年 6 月下旬から 7 月初めの記録的な高温に 地球温暖化が与えた影響に関する研究に取り組んでいます。 ―イベント・アトリビューションによる速報― 」https://www.mext.go.jp/content/20220906-mxt_kankyou-000024830_1.pdf

[iii]IPCC, 2021: Summary for Policymakers. In: Climate Change 2021: The Physical Science Basis. Contribution of Working Group I to the Sixth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change [Masson-Delmotte, V., P. Zhai, A. Pirani, S.L. Connors, C. Péan, S. Berger, N. Caud, Y. Chen, L. Goldfarb, M. I. Gomis, M. Huang, K. Leitzell, E. Lonnoy, J.B.R. Matthews, T. K. Maycock, T. Waterfield, O. Yelekçi, R. Yu and B. Zhou (eds.)]. In Press. A.1.2\

 [iv] Paris Agreement (Dec. 13, 2015), in UNFCCC, COP Report No. 21, Addenum, at 21, U.N. Doc. FCCC/CP/2015/10/Add, 1 (Jan. 29, 2016). (訳文は以下を参照:資源エネルギー庁。2017年8月17日。「今さら聞けない「パリ協定」 ~何が決まったのか?私たちは何をすべきか?~

(最終閲覧日2022年7月25日))

[v]IPCC, 2018: Summary for Policymakers. In: Global Warming of 1.5°C. An IPCC Special Report on the impacts of global warming of 1.5°C above pre-industrial levels and related global greenhouse gas emission pathways, in the context of strengthening the global response to the threat of climate change, sustainable development, and efforts to eradicate poverty [Masson-Delmotte, V., P. Zhai, H.-O. Pörtner, D. Roberts, J. Skea, P.R. Shukla, A. Pirani, W. Moufouma-Okia, C. Péan, R. Pidcock, S. Connors, J.B.R. Matthews, Y. Chen, X. Zhou, M.I. Gomis, E. Lonnoy, T. Maycock, M. Tignor, and T. Waterfield (eds.)]. Cambridge University Press, Cambridge, UK and New York, NY, USA, pp. 3-24. (『1.5°Cの地球温暖化:気候変動の脅威への世界的な対応の強化、持続可能な開発及び貧困撲滅への努力の文脈における、工業化以前の水準から1.5°Cの地球温暖化による影響及び関連する地球全体での温室効果ガス(GHG)排出経路に関するIPCC特別報告書、政策決定者向け(SPM)要約』、環境省仮訳、B.4)

[vi]同上、B5.1.

[vii] IPCC 第6次評価報告書 第1作業部会報告書 気候変動2021:自然科学的根拠 政策決定者向け要約(SPM) 暫定訳(2022年5月12日版)、表SPM.2

[viii]「カーボンバジェットという用語は、他の人為的な気候強制力の影響を考慮した上で、地球温暖化を所与の確率で所与の水準に抑えることにつながる、世界全体の正味の人為的累積 CO2排出量の最大値のことである。これは、工業化以前の時代を起点とした場合は総カーボンバジェットと呼ばれ、最近の特定の日を起点とした場合は残余カーボンバジェットと呼ばれる(用語集)。過去の累積 CO2排出量は、これまでの温暖化を大 部分決定し、将来の排出は将来の追加的な温暖化の原因となる。残余カーボンバジェットは、温暖化を特定の気温水準以下に抑えるにあたり、まだ排出しうるCO2の量を示す。」IPCC 第6次評価報告書 第1作業部会報告書 気候変動2021:自然科学的根拠 政策決定者向け要約(SPM) 暫定訳(2022年5月12日版)脚注43

[ix]IPCC, 2022: Summary for Policymakers. In: Climate Change 2022: Mitigation of Climate Change. Contribution of Working Group III to the Sixth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change [P.R. Shukla, J. Skea, R. Slade, A. Al Khourdajie, R. van Diemen, D. McCollum, M. Pathak, S. Some, P. Vyas, R. Fradera, M. Belkacemi, A. Hasija, G. Lisboa, S. Luz, J. Malley, (eds.)]. Cambridge University Press, Cambridge, UK and New York, NY, USA. B. 1.3

[x]ibid. B.1.3

[xi]大野 輝之、2021年9月30日。「CCSへの過剰な依存が日本のエネルギー政策を歪める」自然エネルギー財団。

[xii]ただし、1.5°Cを数十年にわたって最大0.1°Cまで超過する、限定的なオーバーシュートが67%以下の確率で発生する。ibid. Box SPM.1. 

[xiii]International Energy Agency. 2021. Net Zero by 2050: A Roadmap for the Global Energy Sector. Summary for Policy Makers. p.2

[xiv]IPCC, 2022: Summary for Policymakers. In: Climate Change 2022: Mitigation of Climate Change. Contribution of Working Group III to the Sixth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change [P.R. Shukla, J. Skea, R. Slade, A. Al Khourdajie, R. van Diemen, D. McCollum, M. Pathak, S. Some, P. Vyas, R. Fradera, M. Belkacemi, A. Hasija, G. Lisboa, S. Luz, J. Malley, (eds.)]. Cambridge University Press, Cambridge, UK and New York, NY, USA. B.7.

[xv]International Energy Agency. 2021. Net Zero by 2050: A Roadmap for the Global Energy Sector. Summary for Policy Makers. p.11

[xvi] ibid. p.9

[xvii]IPCC, 2022: Summary for Policymakers. In: Climate Change 2022: Mitigation of Climate Change. Contribution of Working Group III to the Sixth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change [P.R. Shukla, J. Skea, R. Slade, A. Al Khourdajie, R. van Diemen, D. McCollum, M. Pathak, S. Some, P. Vyas, R. Fradera, M. Belkacemi, A. Hasija, G. Lisboa, S. Luz, J. Malley, (eds.)]. Cambridge University Press, Cambridge, UK and New York, NY, USA. C.3.