ばらばらになった町~福島、旧避難指示区域の現実(楢葉、富岡、浪江訪問記)

スタッフの吉田です。2018年11月5日(月)、ドイツでチェルノブイリ原発事故に関する支援活動をしているメンバーとともに、福島県の浜通り、福島第一原発周辺の自治体を訪問しました。富岡市から会津若松市に避難されているFさんに7人乗りの車に乗せていただいて福島市から出発しました。

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楢葉町まで1時間強。道中、除染土を載せて浜通り方面に向かうトラック10台以上とすれ違いました。県内各地の空き地などの「仮置き場」から双葉町や大熊町の中間貯蔵施設に向かう車両です。環境省の中間貯蔵施設情報サイトを見ると、輸送対象は1400万立方メートルと気が遠くなる量です。

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楢葉町

2015年の3月に避難指示が解除されており、7000人の人口のうち約半数が帰還(原発労働者として新たに居住している人を含む)しているとのこと。車窓からは、農業試験場が営業している様子や、稲作などが再開されている様子が見られました(2016年から出荷も再開)。

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楢葉町立あおぞらこども園は、かつては町中から200人の子どもたちが通ってきていたという広い園舎と園庭のある園です。原発事故後はいわき市に移転、避難指示解除後の2017年から戻って再開。2018年現在は登録数68名とのことです。ALTの英語教員も常駐していてのびのび遊ぶ子どもたちに迎えられました。子どもたちの親は、公務員など仕事の関係で帰還している人がほとんどとのこと。園庭は除染されていて、モニタリングポストの値は0.04マイクロシーベルトでした。しかし、原発から20キロ圏内の地域に多くの子どもたちが住んでいることに複雑な思いもいだきました。

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給食の放射能測定結果は毎日楢葉町のウェブサイトに掲載。

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富岡町

2017年4月に避難指示が解除されましたが、人口16000人のうち住民の帰還は約430人、作業員を含めて約800人(約5%)。町の出張所のような「交流サロン」には食品の放射能測定器が置かれていて、利用記録ノートを見るとほぼ毎日、数種類の測定記録があります。野菜やキノコ、果物など。メモのように〇や×が書かれ、キノコ類には多く×があります。

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富岡町で唯一の、かつ2人目の女性町議高野さんは、原発事故後の避難生活の中で、特に女性や高齢者は思うことがあってもなかなか声をあげられない現実に直面。町の政策に反映されない、そこで自分が代弁しようと、2015年に立候補して当選しました。町では新しいスーパーや病院が建てられていますが、実際には帰還住民よりも原発作業員のためのようにも見える、本当に町民のためになるお金の使い方を望むと言います。

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(左から2人目が高野さん)IMG_2959高野さんのご自宅のすぐそばに、帰宅困難区域との境界。

続いて、高齢者施設「デイサービスもとまち」を訪問しました。30名の登録、この日は12名が来ていて輪投げのレクリエーションをしていました。高齢夫婦のみや一人暮らしで帰還している人が多いそうです。

周辺では、新築の復興住宅(アパート)が目立ちます。大手建設会社が土地を買って建てているのだそうです。入居するのは廃炉作業の関係者が多いでしょう。個人宅が取り壊されて更地になっている場所も多くあります。

桜並木で有名な夜ノ森(よのもり)地区の近くに住むIさん(90歳)は、2017年6月に帰還、役場が掲げる「復興」には複雑な思いを抱いています。

DSC05089紅葉する夜ノ森の桜並木。

「よその土地に家を建てた人もいる。子どもたちは富岡ではなく違うところがふるさとになる。いつまで『富岡の人』でいられるのか・・・。個人がこれほど苦しんでいることは東京電力は知らないだろう。福島第一原発ではこれまらもまだ何が起こるかわからない。」

急な訪問にも関わらずご自宅の居間に上げていただきお話を伺いました。これだけ多くの人(9人で訪問)と話すのは久しぶりで嬉しい、とおっしゃっていました。ご趣味の素晴らしい仏画も見せていただく。

IMG_2962 (2)帰宅困難区域の境は、簡易なロープのみの場所も。

大熊町

常磐道を通り富岡から浪江へ。途中、帰宅困難区域の大熊町を通過。家も店舗も閉ざされたまま。道路に面した入口は鉄格子で封鎖されています。

IMG_2978 (2)大熊町、車から。飲食店、ショッピングセンター、ガソリンスタンドなどすべて無人。

浪江町

請戸の浜へ。福島第一原発が見通せ、距離は約10キロ、津波と原発事故の2重の被害を受けた場所です。浜辺にあった集落は跡形もなくなり、お墓などは高台に移転しています。無人になった浜辺に、防潮堤の工事が行われています。IMG_2984 (2)高台より請戸の浜を望む。写真奥の浜辺に集落があった。中央は田んぼだったところ。

IMG_2989 (2).jpg地震で大きくずれた道路。

請戸小学校は、1階部分は完全に津波にさらわれていますが、児童生徒は高台まで避難して助かったそうです。校庭に置かれているのは防潮堤の資材です。

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小学校の校庭からも、福島第一原発がかすんで見えます。(↓写真は近くの見晴台より)

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こちらは、浪江町の仮設焼却施設です。津波がれきや解体した家の部材などを焼却するもの。家の取り壊しはまだまだ続いています。放射性物質の灰への濃縮やフィルターからの拡散も懸念されます。

富岡町を通過中にも、仮設焼却施設がありましたが、そちらはまもなく解体が決まっているとのこと。その後は、富岡町のものも、こちらに運ばれる予定とのことでした。

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そこから少し行ったところには、浪江町に新しくできた小中一貫校があり、車で通りました。新築の立派な建物で、2018年4月から再開していますが、生徒は十数名とのこと。これほど原発に近い場所にも、少数とはいえ子どもたちが帰還しています。

最後に、浪江町のKさん(現在は福島市に避難)の自宅に案内してもらいました。7年半前のそのままにしてあるとのことで、リビングの床にはおもちゃが転がり、3月10日の新聞が置かれたまま。当時お子さんが5歳だったそうです。

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Kさんのご自宅を出発したのが17時少し前。福島に向かう途中で日が暮れて真っ暗に。浪江町の帰宅困難区域を通る道のため、家の明かりはなく、街灯も全くありません。

家や畑がある場所、また除染度のフレコンバックが積まれている場所・・・。かつては、まばらではあっても家々の明かりがついていたでしょう。道路わきにところどころ設置されたモニタリングポストの値は、4マイクロシーベルト以上のところもありました。

人のつながりとコミュニティがあってこその「まち」。それが引き裂かれ、今後が見えない浜通りの町々。原発事故の現実がつきつけられた訪問でした。原発事故のこと、エネルギーのことなどほとんど語られなくなっている東京や福島市のくらしとのギャップ、「復興」「2020年五輪」の盛り上がりとのギャップを痛感します。

古川好子さん、武藤類子さん、今野寿美雄さん、高野匠美さん、板倉正雄さんにご案内・お話しいただきました。ご多忙中のご配慮に感謝いたします。

(吉田明子)

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