エネルギー基本計画見直し議論の現状

2017年8月より、「エネルギー基本計画」見直しの議論が始まっています。
経済産業省の審議会「基本政策分科会」で主に議論され、並行して新たに設置された「エネルギー情勢懇談会」で2050年を見据えた議論を行い(2018年3月中にとりまとめとのこと)、その議論結果も参考にしながら、4月以降エネルギー基本計画見直しについてまとめるとされています。

今月26日に開催予定の基本政策分科会では原子力・火力がテーマとされます。審議会の中では、「日本は資源が乏しい」「2030年の原子力割合20~22%をどう達成するか」と考えるメンバーが多く、世論や世界情勢との乖離を感じざるをえません。

審議会での議論は、「資源が乏しい日本」というように、いまだに中央集権型エネルギー構造がベースとなっており、脱原発・脱化石燃料に向かう世界の動きや、震災後の「地域分散型」エネルギーシステムにむかう各地での変化を無視したものです。
この間にも地域での再エネ活用や・地域づくり、そしてパリ協定を受けて再エネやサステナビリティを重視する方向へと、企業も大きく方向転換しようとしています。

エネルギー基本計画改訂に市民の声を(12月8日作成のスライド)
           
FoE Japanは、eシフト・グリーン連合などのネットワークを通じて、エネルギー基本計画を「原発ゼロに」と呼びかける署名をスタートすべく準備中です。また、年明けには政府交渉や院内集会を予定しています(詳細が決まり次第ご案内します)。

(吉田明子)

・基本政策分科会 資料等
(8月9日、11月28日、12月26日(予定))
http://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/
・エネルギー情勢懇談会 資料等
(8月30日、9月29日、11月13日、12月8日)
http://www.enecho.meti.go.jp/committee/studygroup/#ene_situation/

▼「どうする?これからの日本のエネルギー」ウェブサイト
http://ene-rev.org/
*解説リーフレット「どうする?これからの日本のエネルギー」は7万部以上を配布しています。引き続き各地の勉強会やイベントで活用いただければ幸いです。  

広告

原発を退けた人々の力(2)韓国慶尚北道ヨンドク郡~地域民主主義そのものを問いかけ、やりとげた


IMG_0964
韓国の東海岸に位置する盈徳(ヨンドク)郡(慶尚北道)。人口4万5,000人ほど。美しい海とズワイガニの産地として知られ、カニが郡のシンボルマークとしてあちらこちらに目につく。

ここでは、3回にわたり放射性廃棄物の処分場の候補地となり、さらに原発建設の計画がもちあがった。ふるさとを守るために歯を食いしばって前に進み、地域の分断を乗り切り、「地域の運命は、住民自らが決める」ことを重視し、最後には住民投票で原発反対の住民の意思を示すことに成功した人々のたたかいについて話をきいた。以下、聴き取りの内容をまとめた。

処分場反対で、つまはじきに

「最初の2回の処分場建設計画のときには、地域全体がまとまって反対しました。しかし、2005年の3回目の処分場計画の時は、そうではありませんでした」と、元ヨンドク核発電所誘致住民投票推進委員会のキム・オクナムさん。行政が「ヨンドクの発展のきっかけのため」と誘致に積極的になり、反対運動は行政と対立したのだ。「地域の発展を邪魔するのか」と白い目でみられた。反対をした人たちは地域の親睦団体からもつまはじきにされ、仕事もこなくなり、生活すら厳しくなった。精神的にもぼろぼろになってしまった。組織も崩れ去ってしまった。
このときは、キョンジュ、ポハン、ヨンドク、グンサンの4つの候補地で住民投票を行い、最終的には最も誘致賛成が多かったキョンジュに決まった。反対派が勝ったともいえる。しかし、それはあまりに苦いものだった。

今度は原発建設構想がやってきた

写真 2017-11-25 16 21 48そして、2011年、今度は原発建設の構想が持ち上がった。この計画は、予定地の敷地の399人の同意だけで決めてしまったため、「郡民全体の意見をきくべきではないか?」と郡議会に陳情を行った。これには保守派・原発推進派が圧倒的多数を占める議会も、「民主主義の手続きが足りなかった」ということで、特別委員会を設置し、全体の意見を調べる必要があるということになった。地域全体でも8割が朴槿恵(パク・クネ)大統領支持ということで、住民投票にかけたとしても賛成派がかつのではないかと思われた。
キム・オクナムさんたちには迷いがあった。前回の処分場誘致のとき反対した人たちは、生活が崩壊し、組織も崩壊し、深い傷を負っていた。果たして住民投票をする実務、力量があるのか。資金があるのか。
それでも、結論としては、外からの力を借りながら、なんとかやりとげるしかないということになった。全国の脱原発運動に取り組む団体の力をかりることになった。

地域民主主義そのものを問いかける

しかし、いざ、住民投票をやるとなると、国も道も郡も、この住民投票は「違法」だと言い出した。「原発建設は国家事務であり、住民投票の対象ではない」というのだ。住民が自ら、自分たちの意思を示すことを、政府は恐れたのだろう。

住民投票の実施は、「中央が決めることに地域は従うのか? 地域の重要なことは地域住民自身が参加して決めるべきではないか?」という地域の民主主義そのものの問いかけとなっていった。キムさんたちは、「地域の重要なことを地域の住民自身が決めていく。そのための意見表明の場である」ことを強調し、賛成・反対の違いによって後で感情的な対立を生むことがないよう、投票のプロセスが公平であるよう、細心の注意を払った。これは切実な問題だった。
政府や韓水原の宣伝はものすごかったという。「ヨンドク史上、ここまで全国に報道されたことは初めてでした」とキムさん。地域全体が、原発賛否をめぐる、双方のプラカードで埋め尽くされた。韓水原などは投票不参加の勧誘に取り組んだ。

1万人が原発誘致に反対票を投じた

選挙人名簿もなく、資金もなく、媒体もなく、反対運動はボロボロだったし、さまざまな葛藤があったが、キムさんたちは、やりとげた。とにかく住民たちは自分たちの意思をあらわしたかったのだ。
2015年11月13日住民投票の結果が出た。1万1201人が投票。うち原発誘致反対が91.7%。誘致賛成は7.7%。
政府側は投票率は32.5%とした。今回の住民投票は、住民投票法に基づくものではなかったが、住民投票法上、有権者数の3分の1以上が投票しなければ、無効となり、開票もされないため、投票率が3分の1を超えるかどうかが注目された。選挙管理委員会の協力が得られなかったキムさんたちには選挙人名簿がなかったため、有権者数の正確な数はだれもわからなかったが、前回の住民投票の有権者から不在者を除いた数を母数とすると、投票率は33%をはるかに超えるとした。

とにかく彼らはやりとげた

住民が自らの地域の運命を自分たちで決める。私たちがやった住民投票の本質はそこだ。もう一度、同じことをしろと言われてもできないだろう」とキム・オクナムさんは言う。

「私は、自分のふるさとが100年後も続くことを願っている。ムン・ジェイン政権になって、脱原発方針に舵を切ったことは歓迎したい。地方自治のあり方もよい方向に変わるだろう。私たちの住民投票が、ムン・ジェインを生み出した民主主義の力に貢献したと思っている。もう一度、同じような住民投票がすぐに必要になるとは思わないが、そのときは、その時代の人たちががんばることになるだろう」
「一方で、原発に反対するのならば、それでは地域のどういう未来を描くのか、それを具体的に示していかなければならないだろう。それがまだできていないことには忸怩たるものを感じている」

牧師さんで、先立つ処分場計画には賛成だったペク・ウンヘさん。福島原発事故を契機に考え方を変え、住民投票推進委員会の共同委員長となった。

福島原発事故は、原発の危険性、核の恐ろしさを考えさせるきっかけとなった。私は考えを変えた。反対運動をすることは、国家と対決することでもあり、自分の人生を厳しいところにおく選択になる。キムさんとは友達だが考え方は違う。しかし大同小異で、大きい目的を達成するために、手を携えていくことは重要だった」。

この住民投票では、本当にいろいろな葛藤もあった。この保守の地域で、政府に反旗を翻すことは人生をかけることでもあった。

しかし、分断を乗り越え、前をむき、希望と民主主義の力を信じて、彼らはやりとげたのだった。その勇気と意思の力に、心から敬意を表したい。(満田夏花)

《関連記事》原発を退けた人々の力 :韓国江原道・三陟(サムチョク)~「普通の女性たち」が立ち上がったわけとは
韓国ムン・ジェイン大統領のもとでの脱原発の道のり~新古里5・6号機の公論化プロセスで問われたものは?~

写真 2017-11-25 17 53 03

▲ヨンドクの市場

原発を退けた人々の力(1):韓国江原道・三陟(サムチョク)~「普通の女性たち」が立ち上がったわけとは

IMG_0908三陟(サムチョク)市は韓国江原道南部に位置する。人口は約7万人。美しい海水浴場と石灰岩の洞窟が有名な観光地でもある。

サムチョク市では、前市長が強引にすすめようとした原発誘致に、市民が粘り強い反対運動を展開した。ついには反原発で住民投票を公約にかかげた新しい市長を当選させるに至ったが、この市長が住民投票をやろうとしたが中央の意を受けた選挙管理委員会にはばまれた。それならばと市民が主導して住民投票を実施し、ついには誘致反対を勝ち取った。11月24日、サムチョク市を訪問。この驚異の運動を成功させたコアメンバーの人たちに話をきくことができた。(写真:サムチョク核発電所反対闘争委員会およびサムチョク女子高同窓会のメンバーからの聴き取り風景)

サムチョク市は30年間で核に関するたたかいが3回あったという。
1992年から99年にかけての原発誘致に対する反対運動、2003年から2005年にかけての核廃棄物処分場への反対運動、そして2010年からはじまった再度の原発誘致への反対運動。
「私たちは最初の2回のたたかいに勝利しました」とサムチョク核発電所反対闘争委員会のメンバーで市議でもあるイ・グァンウさんは胸をはる。「そして3回目についても、苦しい局面を乗り越えながらほとんど勝利しました。来月発表される第8次電力基本計画では、サムチョクは原発候補地からはずれるでしょう。それが最終的な勝利です」。

以下3度目の原発誘致への反対運動の概要を、イ・グァンウさんからの聴き取りおよび各種資料をもとにまとめる。

強引に原発誘致を進めた前市長

サムチョク市では、李明博(イ・ミョンバク)政権によるバックアップのもと、2010年からキム・デス前市長が強引に原発誘致を進めようとした。市議会とは「住民投票にかける」という約束をしたが、これは無視。

誘致賛成派は「空がみえないほど」のプラカードを設置し、誘致賛成の署名を集め、2011年3月9日に発表。なんと市の96.6%もの人たちが誘致に賛成しているとしたが、これは信ぴょう性に乏しいものであったという。そしてその2日後に福島第一原発事故が起こった。

サムチョク市の市民やカトリック関係者、教職員組合などが中心となり、「サムチョク核発電所反対闘争委員会」が結成された。キャンドル集会など、さまざまなアクションを展開。一貫して建設に反対。市長に対して、原発の是非を問う住民投票を要求し続けた。原発建設予定地となったサムチョク市クンドク面の住民たちも立ち上がり、「クンドク核発電反対闘争委員会」を組織。2012年1月には、地元の名門校のサムチョク女子高の同窓会も、原発建設反対を決議。運動に合流した。

市長リコール運動に失敗。が、2年後の市長選で圧勝

彼らは一度は韓水原による住民説明会の阻止に成功。さらに市長が住民投票要求を無視し続けると、2012年6月から市長のリコール運動に取り組むこととした。1,500人ものボランティアが参加し、リコールの住民投票に必要な署名は1か月という短期間で集めることができた。この勢いに乗って、勝つと思いきや、10月31日の投票日当日、自治体の末端職員やチンピラたちが投票所の前で投票にきた市民を威嚇。所定の投票率である34%を達成することができず、開票に至らなかった。こうして市長のリコールは失敗した。

しかし、これにもめげずに、彼らは2年後の市長選挙にかけた。水曜日にはミサ、キャンドル集会を継続。一人デモやスタンディング、人々に伝える運動に取り組んだ。そして2014年、「原発の賛否を問う住民投票の実施」を公約をかかげたキム・ヤンホ市長が圧勝。

原発は国家が決めるものなのか?

キム市長は公約通り、議会に住民投票を提案。8月末に住民投票議案が通過した。ところが、中央の意をうけた選挙管理委員会が「原発は国家事務だから、住民投票の対象ではない」と拒否。

ならば、住民がやるしかないと、住民投票管理委員会が組織された。2014年10月9日、有権者の68%が投票し、うち85%もの人たちが原発誘致に反対の意思表示を行った。

一方、市長は、住民投票を行おうとしたことが職権濫用にあたるとして起訴された。しかし、のちに無罪とされる。「投票による意見集約は住民意思の確認手段」とされたのだ。

普通の女性たちが立ち上がったわけ
「地域の未来の問題だと思っていましたが、国家とのたたかいでもありました」

この驚異的な運動の中で、何度も何度もつらい局面があった。リーダーたちの中にはいやがらせや脅迫によって、病気になってしまった人もいたという。

「涙がでるほどうれしかっこと」の一つが、地元の名門校のサムチョク女子高同窓会が、「原発反対に力を注ぎます」と決定し、いままで運動に縁のなかったきわめて普通の女性たちが運動に合流した。のちに「核アングリー・マム」と呼ばれ、脱原発派のキム・ヤンホ市長の誕生にも大きな力となる。

当時、この決定を行ったのが同窓会の第10期会長キム・スクチャさん。

「高校の同窓会で、よく原発反対という政治的な問題に踏み込めましたね」ときいてみた。

「私は、これを政治的な問題とは思わなかったんです。私たち自身の問題、地域の問題だと。じっとしていたら原発が入ってきてしまう。となりのウルチンでは原発が導入されても、地域はさびれるし、農産物も売れなくなった。地域の豊かな富がなくなってしまった。おまけに放射能の問題もある。地域のため、子どもたちのために、反対を決めました」とスクチャさん。

「ところが、反対運動をやってから知りました。これは国家との闘いなのだと」。

「“笑いながらやっていこう。しぶといやつが最後に勝つんだ”。つらくなるたびに、私たちはこのように励ましあいました」と、サムチョク核発電所反対闘争委員会の共同代表のキム・オクリンさん。「そしてこの言葉は本当のことでした」

「核アングリー・マム」たちは、笑顔が素敵な、世話好きのおばさまがただった。

(満田夏花)

関連記事:原発を退けた人々の力(2)韓国慶尚北道ヨンドク郡~地域民主主義そのものを問いかけ、やりとげた

韓国ムン・ジェイン大統領のもとでの脱原発の道のり~新古里5・6号機の公論化プロセスで問われたものは?~

👉 報告会「脱原発する国、原発にしがみつく国~韓国、イギリス現地調査報告会(1月9日@表参道)」

IMG_0909
▲サムチョク女性髙の同窓会のみなさまとともに

「原発反対決起大会24周年」と書かれたバナー

▲原発予定地となっていたサムチョク市のクンドク面河川敷にかかげられた原発反対のバナー

サムチョク市クンドク面「原発白紙記念碑」の前で

▲原発白紙記念碑の前で、クンドク原発反対闘争委員会のジュ・ヘスクさんとともに。記念碑自体は、第一回目の原発誘致を退けたときのもの。ジュ・ヘスクさんは、クンドクの美しい自然を愛し、一貫して原発に反対してきた。